なるほどな、と思う。ポケモンやセーラームーンの例なら誰でも知っているだろう。日本人に「世界に何を誇りたいか」と聞けば、「世界に冠たる日本の自動車産業」などと答えたくなるかもしれないが、実はアニメなどの「サブカルチャー」的なものが地球規模で熱狂的なファンを獲得しているのである。「ジャパンフリーク」「ジャパン・クール」などという言葉が存在するのも、それらがあればこそのことだろう。

 「サブカル的なものの強み」は、川口氏も言うように、ひょっとしたら伝統的なものなのかもしれない。有名な例は浮世絵だ。人気役者や美人を描いたそれは、江戸時代のアニメ、あるいはグラビアアイドルみたいなものである。オタクな男女がキャーキャーいいながら買ってはベッドの脇、いや当時は枕屏風か、まあ、そのあたりに張ったりしたのだろう。まさかそんなものが貴重だとは思わないから、飽きれば捨てた。それが、たまたま主要な輸出品だった伊万里磁器を梱包する「反故紙」として使われて海を渡り、当時の欧州人を驚愕、熱狂させたのだと、何かの本で読んだ記憶がある。

 ただ、それは「外人が日本に熱狂」という話である。しかもアニメなどが世界を席巻し始めたのは、10年以上前からのこと。それと今進行していると目される「和の時代」、つまりは日本人による日本ブームはどこか違う。ジャパンフリークの存在は、それを補佐する一つの要因ではあるけれども、それだけではないのではという気がするのである。

 それは何かということで、安易に思いつくのは「美しい日本」。米国の大新聞に「ダウン寸前」と評されてしまった安倍首相が、まだまだ圧倒的な支持率を誇っていたデビュー時に、颯爽とぶち上げたスローガンである。ただ、あれがそれほどのものだったのかと、思わぬでもない。これは要因ではなく結果なのではないか。つまり、そもそもあった風潮に安倍首相が乗ったのではないかと思うのである。

 別な要因として、こんなことも考えられる。「海外からの攻撃を受けると国内の結束は固まる」という、珍しくない現象が起きているだけだと。ここ数年、特に中国の脅威はすごい勢いで高まっている。産業界にとって強力なライバルになっただけでなく、その経済力を背景に政治力、国際発言力をぐんぐん強めている。しかも相手は、ことあるごとに「歴史認識」を持ち出し「日本はけしからん、反省しろ」と、痛いところを突いてくるのである。韓国もまたしかり。こうして、外からの脅威や罵声を受け続けているうちに、「日本いとおし」という感情が高まってしまう。

 ありそうなことである。簡単にいえば「ナショナリズムの台頭」ということだろうか。しかもこの風潮は、日本だけのことではなく、世界的規模で強まっているようにも感じられる。経済活動は国家というボーダーを消滅させ、グローバル化が止めどもなく進行している。これに呼応して、反グローバリゼーション運動が活発になり、その運動の一部はナショナリズムの台頭を刺激する。そもそも人間というのは均質化を嫌う存在なのか、国境というボーダー、経済圏というボーダーが消えれば、替わって民族や宗教、文化をもってするボーダーが際立ってくる。「美しい日本」というスローガンは、こうした世界情勢の中に置いてみると実に意味深ではある。

 とか何とか「なぜ和の時代なのか」ということについて、いろいろ難しく考えてきたのだが、最近、目から鱗が落ちるような解釈を聞いた。提唱者は、YMOのアートディレクションなどで知られるデザイナーの奥村靫正氏である。

 彼は…(次ページへ