どれだけの家庭で「ダンボール入り肉まん」が話題に上ったことだろう。中国の、とある肉まん店で売られていた肉まんの具材をテーマに、日本中で喧々諤々やっているわけだから、すごいものである。某テレビ番組では、有名料理人を呼んで実際にダンボール肉まんを作り、試食までしてしまったようだ。個人的にそれを試みた猛者も多くいると聞く。よほど日本人の琴線に触れる事件だったらしい。

ダメを押すように「この事件は、そもそもテレビ局のヤラセであった」との報道が流れ、そのヤラセであったという報道自体がヤラセなのではないかとの憶測が流れ、何が何だかよくわからない結末を迎えようとしている。その真相について考察するのは誰かにお譲りするとして、今回はこの問題の底にあるものについて思索をめぐらせてみたい。

日本でこの事件がこれだけ盛り上がった要因を解きほぐしてみれば、前提として「中国の食品が世界で問題を起している」という数々のニュースがあり、「ミートホープ事件」があった。こうした事件が格好の比較対象となり、「日本では混ぜ物をするにしても一応は肉だったりしたが、中国では食品ですらない。さすが」といった感慨を生んだのだろう。やらせ騒動に関しても、ちゃんと「“あるある”事件」という下敷きがある。「日本では事件の全貌はほぼ解明されたが、本件は本当にヤラセだったのかすらよくわからない。さすが」といった感想が多くの人たちの口から漏れたことだろう。

ただ、「ダンボール入り肉まんを売っていた」という事例を、それが事実かどうかを問わず冷静に分析してみれば、その構造は極めてシンプルである。もしこの店が「ダンボール入り肉まん」であることを明示して販売し、「だから他店の肉まんの半額」と言って売れば何も問題はなかったはずだ。もちろん、禁止薬物などの毒物はヌキで、食品衛生関連の法規違反などがなければ。けれども実際には、「商品に関する情報が偽り」で、しかも「価格設定は納得できるものではなかった」。簡単に言えば、「ニセモノ」「ボッタクリ」だったということである。

興味深かったのは、ある報道番組で報じていた香港市民の反響だった。ちっとも驚いていないのである。もちろん映像編集上の演出もあるのだろうが、みな口をそろえて「あーそう、ありそうなことだよね」と言う。実は私もこの事件を知ったとき、「さもありなん」と思ってしまった。それは、個人的な体験による。

若い頃から古美術が趣味で、海外に行ってもそうした文物をついつい買い漁ってしまう。当然ながら、中国でもそれをやった。やってみてわかったことだが、何とも贋物が多い。「宋時代」とか表示があって、とんでもない値段が付いている。けれど私が見て回ったところでは、ホンモノだと信じられるものはほとんどなかった。

もっと時代の新しい、ちょっとした物の中にはホンモノも多くある。けれど、すごく高い。でも、買う気を見せて値切ってみると、いくらでも安くなる。3~4割ほど引いたところで「これが精一杯。あなただけの特別価格」とか言うのだが、「じゃあいいや」とその場を立ち去ろうとすると、「ちょっと待って、上の人と相談してくる」とか何とか言って引き止める。そんなことを繰り返しているうちに、1/10以下になることもザラだ。「ニセモノ」「ボッタクリ」が横行する弱肉強食の世界。まったく油断ならない。

この対極にあるのが、例えば欧州である。ロンドン、パリなど多くの都市で古物の買い物をしたが、感心なことにほとんど贋物は見かけなかった。値札も良心的で、値切っても2割引くらいが限度。それでも交渉していると、たぶん仕入れ原価が書いてあるのだろうと思われるノートを出してきて、「ベストプライスは○○ポンド。それ以下では売れない」と言う。それは中国での駆け引きのようなものではなく、本当にいくら言ってもそれより安くはならない。中国と欧州は何とも対照的なのである。

もちろんこれは、古美術における商習慣に限定した話である。ただ、「一事が万事」という言葉があるように、ある分野の商習慣はその文化圏の商習慣を代表しており、全般にかなり近い感覚があるのではないかと私は思っている。そうあれば、この問題は、習慣化し地域住民の意識に植え込まれているだけに、かなり根深い。

ちなみに日本はどうかと言うと…(次のページへ進む