「新製品の開発や新事業の創出を成功させるカギはどの辺りにありますか」
「結局、コンジョーではないでしょうか」
「コンジョーと言いますと」
「根性です。いい言葉を思いつかないのですが、要するに、何が何でも最後までやり抜くという気概があるかどうかですね」
「日本企業の課題は、技術はあるけれどもマーケティング力やプロデュース力が足りない、ということかと思っていましたが」
「いや、日本のそれなりの企業なら、何でもあるのです。技術も、それを支える技術者もいるし、アイデアも資金もマーケティング・スタッフもいる。もちろん経営者はイノベーションに成功してもらいたいと思っている。ただ、プロジェクトチームが最後まで走り抜けないことが多いのです」

 冒頭の対話は、ある外資系コンサルティング会社で新事業創出の支援を手掛けているコンサルタントとかわしたものである。このコンサルタントは、いい意味でクールな人であったので、新事業創出のカギとして、「合理的な作業プロセスの欠如」とか「プロジェクトマネジメント力不足」「アイデアを生む体制の不備」といった答えを予想していたが、彼の回答は「根性」という、はなはだ泥臭いものであった。

 ある大手製造業で、非常に困難な情報システム開発プロジェクトの指揮をとった役員と話をした時も同じようなやりとりになった。

「あれだけ難しいプロジェクトをやり抜いて、とにかくシステムを完成できた秘訣は何でしょうか」 「秘訣なんてありませんよ。このシステムを何が何でも作るんだ、とメンバー全員が思うかどうかです。確かに大変なプロジェクトでしたが、一番辛かった期間のほうが、部員のモチベーションは高かった。経営陣の説得についても同じことです。もちろん理屈は用意しますが、最後は『どうしてもやりたい』という熱意を見せて納得してもらうしかありません」 「新しい雑誌を作るプロジェクトのリーダーをやったことがありますが、うまくいきませんでした。熱意が足りなかったのでしょうか」 「そう思います(笑)」

 いささか唐突な物言いになるが、筆者は「根性」とか「熱意」という言葉が好きではない。一部の製造業経営者が愛用する「愚直」も嫌いである。個人的な好き嫌いの範疇なので、なぜだと聞かれると返答に窮する。数年前、NHKで放映されていたプロジェクトの成功を伝える人気番組を皮肉るコラムをWeb上で公開し、読者からお叱りの書き込みを多数頂戴したことがあったが、その背景には筆者の「根性嫌い」があった。根性と聞くと、理屈を超えて、あるいは理屈を無視して愚直に頑張る、という様子を思い浮かべてしまう。

 昨年から、硫黄島戦とその指揮官であった栗林忠道中将について延々とコラムを書いているが、硫黄島戦を取り上げようと思ったきっかけは、栗林中将の合理精神に感銘を受けたからだ。旧日本軍の悪しき精神論と、栗林中将は無縁であった。前回のコラム「過去の教義を捨て、新戦術を編み出す」で紹介したように、栗林中将は最悪の状況下にありながら、合理的に考え、考えうる最善の計画を立案し、実行させた。とはいえ合理的な計画があればいいというわけではない。前回コラムの末尾を再掲する。

 合理精神無くして勝つことはありえないが、合理精神だけで戦い抜けるわけではない。スミス中将が書いている通り、何が何でもやり抜くという敢闘精神が必須である。次回は、硫黄島戦における敢闘精神と栗林中将の統率ぶりについて述べる。

 前置きが長くなったのは、今回のテーマである「何が何でもやり抜く」敢闘精神について書くのは筆者にとって難儀である、ということをお伝えしたかったからだ。本題に入る。