前回の当コラムで次のようなコメントをいただいた。

■“イノベーション”という言葉が良く使われますが,日本語のイノベーションの定義は何でしょう?ここに書かれている“イノベーション”は少し高度な技術開発の範囲と思われます。“飛躍的”というのは客観的な指標がないため難しいと思いますが,流行言葉が踊っている状態になってきているのが懸念されます。イノベーションはユーザーニーズとすり合わせが出来たときに起きるのだと,個人的には思います。
(2007/02/14)

 筆者は前回のコラムで「イノベーション」と言う言葉を「飛躍的な技術革新」という程度の意味で使ったが,このコメントをいただき,確かにあまりり深く考えずに使っていたと反省した。ということで,本稿では「イノベーションとは何か」について考えてみようと思う。といってもこれまで筆者が読んだイノベーション関連の本の中から印象的だった部分を紹介する程度ではあるが。

イノベーションとは「差異」である

 まず紹介したいのは,我々の先輩でもある西村吉雄氏(元日経エレクトロニクス編集長,現早稲田大学客員教授)が説く「イノベーション論」である。同氏は,経済学者のシュンペーターの学説などをひもとき,2つの水槽にたとえて,2つの水槽間に水位,つまり差異があることがイノベーションの根本にあると見る(例えば『大企業における技術経営』,丸善MOTテキスト・シリーズ,2006年10月,など参照)。そしてその水位(差異)を「知る」か,もしくは自ら創出し,その間に水路を作って水流,つまり利潤を作り出すことがイノベーションだと説明する。

 資本主義社会における企業(企業家)は,常に新しい「差異」を求め,変遷を続けてきた。というのは,2つの水槽の間で水流が起こるのは,水位を平衡にしようとする力が働くからであり,「差異」をなくす力そのものが利潤を生むという性格をもともと持っているからである。

 これまでも常に新しい「差異」が作られ,そして埋まって消えていった。しかし歴史的に見ると,この「差異」の性格が大きく変わった節目があったのではないだろうか。古くからあった商業資本主義から,産業資本主義への変化である。

 商業資本主義の時代は,その「差異」は地域的に離れた2つの共同体の間の価値の差であった。シルクロードにおける交易などに見られるように,作物や手工業品などを遠路はるばる輸入し,希少価値をもって高い価格で販売することで利潤を生んでいた。しかし商人資本の活動の結果,世界市場が形成されることによって,差異は次第になくなって大きな利潤を生まなくなった。

 そこで,自然に存在する「差異」に頼るのではなく,自らものを生産して積極的に「差異」を作り出そうとしたのが産業資本主義である。そこでは技術革新,すなわちイノベーションによって,労働生産性を上げることができる。これによって労働者に支払われる価値(賃金)を超える製品価値を生み続け,利潤を上げるのである。

イノベーション→模倣…の永久運動

 この産業資本主義時代における差異は,商業資本主義のときは「空間的」だったのに対して「時間的」だとも言われている。すわなちイノベーションによって,生産性を上げたり新製品を開発することによって,未来の価値を先取りして,現在の価値と未来の価値の「差異」を使って利潤を上げるのである。

 しかし,その時間的な「差異」は,常に競合企業の「模倣」によって埋まっていく。差がなくなると利潤を創出できなくなるので,再び新しいイノベーションを起こさなければならない。イノベーション→模倣→イノベーション→模倣…と延々と続けることを企業は運命付けられているとも言える。

 さて,ここで読者からいただいた冒頭のコメントにある「イノベーションはユーザーニーズとすり合わせが出来たときに起きるのだと,個人的には思います」についても考えてみたい。「ユーザー」というキーワードから筆者がヒントにしたいのは,産業資本主義においては,労働者自身が消費者になることによって国内市場を形成した,という説である。

労働者=消費者