お盆休み,筆者は愛媛県の佐田岬半島にある実家に帰省した。朝5時にクルマで東京を発ったものの,大阪付近の高速道路で大渋滞に巻き込まれ,愛媛県の大洲インターから一般道に降りたころには夜の7時を回った。そこから八幡浜を抜けて佐田岬半島を縦断する「メロディーライン」に入る。

 伊方原子力発電所を過ぎたあたりから真っ暗になり,ヘッドライトの光がレーザービームのように闇を切り裂きながら,クルマは痩せ尾根の上のワインディングロードを走る。半島全体の長さで2/3くらい行ったところで,メロディーラインを外れて右折し,クルマ一台がやっと通れるほどの細い急坂を海に向かってゆっくり降りてゆく。

「虫の世界」へ

 道の周りは照葉樹林がジャングルのように生い茂り,道路にまで押し出してきてクルマに触れる。ヘッドライトの光が,蛾やらなにやら無数の虫を照らす。見慣れてている光景のはずだが,夜更けにここを通るたびに背中にゾクゾクしたものが走る。そしてなぜかいつも,アニメ「風の谷のナウシカ」で主人公たちが「腐海」の底に落ちていく様子を思い浮かべてしまう(観たことのない方はすみません)。

 実家に着いて早々に寝ようと横になった。すると,部屋にどんどん虫が入ってくる。蛾や蚊はもとより,カメムシやらカナブンが部屋の蛍光灯の周りを飛び回る。さらには足を広げると10cmにもなろうかという大きな蜘蛛まで壁にへばりついている。さすがにおかしいと思って窓をチェックすると案の定,網戸があいていた。

 隙間のないようにしっかり閉めて,さあ今度こそ寝ようとすると,今度はムカデの子供が畳を這い回っているではないか。思わず叫び声を上げると,蜘蛛のときには「何にもせん」と気にもとめなかった家人がハサミをもって現れ,慣れた手つきで体長5cmほどの小さなムカデを真っ二つに切り裂いてティッシュとともにゴミ箱に投げ入れた。頭の所を切るのがコツなのだという。

 「ムカデ,今年は多いな。卵でもかえったかな」。

 こうつぶやいて家人は行ってしまった。筆者は,さっそくハサミを握り締めて,部屋中を点検しこれ以上いないことを確かめて,枕元にしっかり置いて再び横になった。虫と戯れていたためか,夢うつつの中で筆者がヒマラヤをトレッキングしている時のことを思い出していた。

ヒマラヤ,「恐怖」の虫体験

 1979年8月,インド・ヒマラヤの奥地。4000mくらいの峠を越えてグングン高度を下げ,岩だらけの殺伐とした風景から川筋の道に入り,しばらくいくとオアシスのように木々が生い茂る場所に出た。

 この日はこのあたりに泊まることにして平らな場所にテントを張ろうとしてふと気付くと,5~6人のチベット人の子供たちがじっと筆者を見ているではないか。目を輝やかせて興味津々の子供たち。何かあげられるものはないかと,写真フィルムの容器やタバコの包装フィルムを差し出すと皆で不思議そうに触っている。手ぶり身振りで泊めてもらえるかとたずねると,分かったのか手招きする。

 ついて行くとチベット人の小さな村があった。電気も水道も道路もクルマも来ない村である。人のよさそうな老夫婦が泊めてくれると言う。ザンパ(大麦の粉)と塩茶をご馳走になって(このあたりのことを書いた以前のコラム),土間のような部屋で麻縄のようなもので組んだベッドに寝るように言われた。

 お礼を言って横になって眠りに着いたのだが,猛烈なかゆみを感じて飛び起きた。南京虫に手と足とお腹をやられたようだ。南京虫はお馴染みなので,ボリボリと体中を掻きながら一体何匹いるんだと思って懐中電灯でベッドの麻縄を照らすと何匹もへばりついている。

 南京虫を潰していると,ふとしたはずみに動いた懐中電灯の光が土間の方を照らした。何か動いている。懐中電灯を近づけて目を凝らしてみると,見たこともないような虫が無数に蠢(うごめ)いていたのである。足の長いのやら短いのやらがゾロゾロと…。今思うとたいした虫ではなかったのかもしれないが,このときは身の毛がよだった(その後,パキスタンのホテルの部屋でサソリにも遭遇したことがあるが,それでもこのときほどは動転しなかった)。虫たちに「見たなぁ~」と言われたような気がして,あわててライトを消した。見なかったことにしようと心を落ち着け,暑いのに寝袋を取り出してくるまって無理やり寝ようとした。

 あのときに比べれば,ここの虫なんて可愛いもんだ,などと思い出しながら,長時間ドライブの疲れでいつしか眠りに落ちた。

太古の自然が押し寄せる…