中国では今,機械加工などの基盤技術の整備が急速に進んでいる。中国に進出した日系金型メーカーから技術を吸収した人が自ら起業し,社員を教育するという連鎖反応が起こっていて,技術を手にした人の層がどんどん厚くなっている。一方,自動車などの最先端技術についても日系自動車メーカーは本腰を入れて提携関係を結び,最先端技術の供与に乗り出し始めた。さらに,中国はこれまで苦手と見られていた生産技術やメンテナンスサービスなど管理系の技術についても急速にキャッチアップしつつある。いずれ中国はこれら3種の技術を集積する可能性が高い。翻って日本では,基盤技術の弱体化が心配されている。両国の弱いところを補完しあい,対等な立場でのネットワークを構築することが重要である。

 先週の日曜日(11月27日)の夜,自宅の居間にあるパソコンに向かって『ものづくり国家戦略ビジョン』を読んだ感想を書いていた(前回のコラム)。「ただここで気になるのは,日本の強さの象徴のような『MONODZUKURI』という言葉をアジア諸国が受け入れてくれるのかという問題である」と書いたあたりで,筆(キーボードを打つ手)が止まった。受け入れてもらえることなどありえないのではないか,傲慢な考えではないのだろうか,と。

老日本人金型技術者の憂鬱

 キーボードに手を置いて固まっていると,家族たちが見ていた娯楽番組が終わり,NHKスペシャルが始まった。「モノづくり職人たちの攻防~日本VS中国~」というタイトルが画面に躍る。番組を変えようとする家族に頼み,画面に見入る。日経ものづくり誌の木村記者も紹介しているが(Tech-On!の関連記事),中国無錫にある金型メーカーをカメラは追跡する。

 設立5年で従業員300人の企業に成長させた,その金型メーカーの社長は,もともとは中国に進出している日本の金型メーカーに勤めていた。そこで,ある日本人技術者に技術を学び,会社を起こしたのである。しかも,その日系金型メーカーで教育を受けた30人ほどを引き連れて…。

 カメラはその老技術者が特に目を付けて指導したにもかかわらず一緒に辞めて行った中国人の若者の顔をアップにする。「○○先生には先生が持っていた経験のすべてを教えてもらいました。今は,とても充実しています」。

 一方の日本の先生は「クーデターみたいなものでした。その憤りは実際に教えたものにしか分からないでしょうね」と渋い顔だ。しかし,何人に辞められてもその老技術者は今でも中国人に金型技術を教え続けている。「教えるのを止めようと思ったこともあるが,とにかく前向きにやっていくしかない」と語る。

 10年ほど前に中国に進出した日系金型メーカーの社長が必死に中国国内を営業して回る様子も映し出された。何年もかけて金型技術を教え込んだ中国人がここ10年で600人も辞めていったという。彼らは次々にライバル・メーカーを設立,仕事まで奪われている。「仕事はあるが,まさに戦国時代。でも,中国でやるしか帰る場所はないんです」とその社長は言う。

 番組を見終わって,これだけは言えるのではないかと思ってコラムの文章を続けた。「アジア諸国の多くは日本の『ものづくり力』に感心し,学びたいと思っている…」。そして,こうした技術伝承を積み重ねていけば,日本の「ものづくりDNA」が中国で受け入れられることにつながっていくのかも知れない,とも思った。

重要性増す「中間技術」のキャッチアップ

 筆者は実は先々週,中国・上海に出張した。当社では,当Tech-On!の中国語版「技術在線!」というサイトを持っていることもあり,情報ニーズや広告ニーズを探り,技術メディアとして中国戦略をどうするか考えるためである。

 上海に駐在している日系電機メーカーの人材教育担当者を訪ねた。その担当者によると,今中国の事業所で不足しているのが製造現場のリーダーやマネジメント層だという。中国では経験を積んだリーダーやマネジメント層の採用は難しく,採用してもすぐに辞めることが多いことが悩みだとする。それよりも,大学の新卒者を採用してしっかり研修して,企業の文化を理解してもらい,コアとなる人材を育てたいという。このため新卒採用に力を入れている。それでも辞めるのは覚悟しているが「少しずつでも歩留まりを上げていきたい」と語る。

 リーダー格の技術者が辞めると,その人はサービスやメンテナンスのビジネスを自ら起業して立ち上げることが多いようだ。その電機メーカーの人材担当者によると,事業所向けの電機機器でメンテナンス技術をお客ごと持って行って新会社を立ち上げたケースがあったという。中国では,金型などの加工技術だけでなく,こうしたサービスやメンテナンス系の技術についても次第に定着しつつあると見られる。

 一橋大学教授の関満博氏の分析によると,こうしたサービスやメンテナンス技術は「中間技術」と呼ばれ,実は中国がこれまで苦手にしてきた部分だという。

 関氏は,技術を「特殊技術」「中間技術」「基盤技術」の3つに分ける概念を提唱している(『現場発ニッポン空洞化を超えて』日本経済新聞社などを参照)。「特殊技術」とは,いわゆる科学の知見を利用した最先端技術,「基盤技術」は加工や成形技術などの製造技術を指す。これに対して「中間技術」とは,トヨタ生産方式などの生産技術,生産ラインを効率化して運営する技術,装置を操作・メンテナンスする技術など管理的な色彩の強いものである。

 「特殊技術」(先端技術)だけでは産業化は起こらず,「基盤技術」(成形・加工技術)が必要だということは当コラムでも何回か述べてきた(例えば,以前のコラム)。関氏はさらに,この2つを媒介する技術として「中間技術」の存在が重要だと指摘する。

 中国の技術集積構造を見ると,「特殊技術」についてはロケットなどに代表されるように一部では抜きん出たものを持っている。一方の「基盤技術」についても,従来から機械産業の集積はあり,加えて前述したように日本の金型加工技術などを貪欲に吸収しつつある。欠落していたのは「中間技術」であり,中国の抱える課題だという。

 ただ,その「中間技術」についても,前述したように日本企業や欧米の企業で管理技術を学んだ中国人が起業するなど徐々にキャッチアップしているようだ。関氏も前述の書籍の中で「外資企業の中で生産技術を訓練された人々が増え,外資企業との取引の中でローカル企業も刺激を受け,1990年代の末ころからは『現場』の集中力が急速に高まってきた。かつて欠落していた中国の『中間技術』は一気に様変わりしつつある」と述べている。

最先端技術をどこまで供与するか

 一方,中国が得意だとする「特殊技術」について見てみると,現状ではロケットやレーザ,一部の新素材などかなりの偏りが見られる。日本が得意とするデジタル家電や自動車技術ではまだまだ遅れている。中国政府は,国産化を目指して,日本や欧州企業の技術を中国に根付かせようと躍起だ。

 確かに,どこまで中国サイドに技術を供与するかは頭の痛い問題である。しかし,日本が教えなければ欧米の企業が必ず接触し,日本企業は蚊帳の外に置かれかねない。その点,ドイツVolkswagen社など欧米勢に先の超された感のあった日本の自動車メーカーが,ここにきて中国との共生を軸に置いた戦略を打ち出し始めているのは面白い。

 筆者は2004年6月,北京モーターショーの前日に開催された「北京自動車国際会議」で,日中の自動車メーカー・トップの中国戦略を聞く機会があったが,とりわけ日産自動車COOの志賀俊之氏(当時は中国事業担当常務)の講演が印象的だった(Tech-On!の関連記事)。

 志賀氏は2000年にCEOのCarlos Ghosn氏に「長期的に利益を確保できる中国戦略を立てるように」という指示を受け,「腰を落ち着けて現地企業と全面提携し,グローバルな競争力を上げよう」と決意したという。そして2003年に東風汽車との合弁会社設立に踏み切った。その際の重要な考え方の一つが「最先端の技術を出し惜しみしないで,しっかり出していくことから信頼感が生まれる」(志賀氏)ことである。商品企画,開発,生産技術,管理技術すべて日本と同じレベルのものを導入するという。

【図】技術の集積構造の三角形モデル(一橋大学の関氏)。「特殊技術」は,マイクロエレクトロニクス,バイオテクノロジー,ナノテクノロジーなどを駆使した最先端の製品技術。最先端技術は変わっても,ものを実際につくり出す機械加工を中心とする「基盤技術」は大きくは変わらず,それらを基本的なところで支えている。さらに「特殊技術」を産業化に結びつけ,「基盤技術」の機能を効率化させる生産技術やメンテナンス技術などが「中間技術」である。各国,各地域に最低限この三種の技術が集積化している構造が必要であると関氏は説く。

 講演の後の懇親会の席で,志賀氏に「最先端技術をすべて中国に出すと日本が空洞化する恐れはないんですか?」と今思うに我ながら情けない質問をした。志賀氏は,うんざりしたような顔でこう言った。「今我々が出し惜しみしたって技術を提供するメーカーはほかにいくらでもいるし,中国メーカーだっていずれキャッチアップしてくるでしょう。お互い尊重しあい,学びあい,一緒に技術力を高めあう姿勢が大切だと思いますよ」。

ネットワークでつなげる2つの三角形

 関氏は,前述した「特殊技術」「中間技術」「基盤技術」の3つを,「特殊技術」を頂点とする三角形になぞらえて日中のものづくり産業を分析している(図)。三角形のバランスと大きさでは今のところ日本が優位性がある。しかし,日本は次第にいびつな形になりつつあるという。底辺の「基盤技術」を担っている中小加工メーカーの倒産が相次ぎ,熟練工が引退するなど縮小しているからだ。一方で,中国は基盤技術の部分を急速に確立しつつある。将来的には逆に日本が中国に教えを乞う可能性もある。

 同じアジアに属し,漢字を使い,地理的にも半日もあれば行ける距離にある中国と日本。対等な立場で,互いの足らないところを補完し合い,相互に有機的なネットワークをつくれる可能性は十分あるのではないだろうか。