──救急車にタブレット端末を配備しようとしたきっかけは何ですか。

 2010年に佐賀県庁の医務課に配属になりました。これが私と医療の最初の接点です。もともと医療に関心があったわけではなく、そして病院に入院したこともなく、とても縁遠い存在でした。はっきり言って“他人事”だったのです。

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 医務課に配属されて戸惑った私は、昔の人に習おうと考えました。というのも、学生時代に歴史学者になりたいと思っていたほど歴史が好きでした。歴史上の人物が、自分自身に経験がない道を進むときにどのように歩んでいたかを調べるところから始めたのです。

 目を付けたのは、江戸時代末期に佐賀藩主を務めた鍋島直正公。後に“名君”と呼ばれた人物です。佐賀県では、幕末から明治維新にかけて最先端の技術開発に挑戦し、鉄製の大砲を作ったり日本初の実用的な黒船を作ったりしていました。このとき原動力となったのが、直正公の“現場主義”でした。

 現場主義を重んじていた直正公は、隣の長崎県に来航したオランダの軍艦に自ら乗り込んだのです。時は150年前、西洋のことを学んではいけないというのが世の雰囲気でした。世の中としてはタブーかもしれないけれど、他国の優れたところを学ばなければ我が国の進化はないという考えだったのでしょう。極めて異端ですが、これが佐賀県の大きな改革の歴史の原点でした。

 直正公の現場主義を医務課配属当時の自分に置き換えたとき、県庁の机の上で政策を練ったところでうまくいくわけがないと思ったのです。当時問題になっていたこととして、2006年に奈良県の妊婦さんが救急搬送中に何件もの病院に受け入れを断られた事例がありました。いわゆる“たらい回し”です。新聞などを通じて情報収集こそしていましたが、よく考えると私は救急車に乗ったことがありませんでした。それなら乗せてもらおうと、近くの消防署にお願いをしました。これが始まりでした。