本記事は、日本機械学会発行の『日本機械学会誌』、第118巻第1162号(2015年9月)に掲載された記事の抜粋(短縮版)です。日本機械学会誌の目次、購読申し込みなどに関してはこちらから(日本機械学会のホームページへのリンク)

 わが国は沖縄県を除く46都道府県でステンレス車両が走るステンレス車両大国である。ステンレス車両は、材料の高張力化や高耐候性を生かして車体の軽量化・無塗装化が可能で、省エネ化・省メンテナンス化に直結することから、在来線車両を中心に広く用いられている。本稿では、米国の技術ライセンス終了までの黎明期、日本技術による発展期の2期に分けてステンレス車両の技術史を解説する。

黎明期のステンレス車両の技術史

 世界初のステンレス車両は、米Budd社1934年製の流線型高速ディーゼル動車「Pioneer Zephyr」である。同車両は大恐慌の影響が残る中で大成功を納め、現在でもシカゴ科学産業博物館で保存されている。

 日本におけるステンレス車両のルーツは、日本機械学会認定機械遺産「ステンレス鋼製車両群-東急(東京急行電鉄)5200系と7000系」として、総合車両製作所(J-TREC)横浜製作所(旧東急車輛、TCC)構内に保存されている。

 1958年製の5200系電車は、外板のみをステンレス鋼板とし骨組を普通鋼製のままとした、第0世代のセミステンレス車両である。無塗装化は可能だったが軽量化効果はわずかで、骨組の腐食の問題があり、米国技術の普及によりやがて駆逐される。

 1962年製の7000系電車は、Budd社とTCCとの技術提携(1958~1985年)により開発された第1世代のオールステンレス車両である。米国からはステンレス車両の設計技術と共に、ステンレス鋼の塑性加工技術・溶接技術・品質保証技術が移転された。これにより、外板に加え骨組みもステンレス鋼製となり、大幅な軽量化と耐腐食性向上が実現した。7000系がベース車両と似ており、5200系とは似ていないことが技術の系譜を示している。

 その後、日本独自の技術を織り込みながらステンレス車両の普及が進み、米国のライセンス料率も引き下げられていく。1966年に台湾、1984年に米国、2000年に欧州へ輸出を果たす。そして、1978年製東急8400系電車で日本独自技術により国産化を実現。軽量ステンレス車両と命名されたこの第2世代ステンレス車両の技術はアメリカを超え、1985年には技術提携契約も終了。1987年にはBudd社のステンレス車両生産も終了する。