本記事は、日本機械学会発行の『日本機械学会誌』、第118巻第1162号(2015年9月)に掲載された記事の抜粋(短縮版)です。日本機械学会誌の目次、購読申し込みなどに関してはこちらから(日本機械学会のホームページへのリンク)

初期の鉄道のブレーキシステム

 鉄道車両の特徴は、複数車両が連結され、1カ所(一般的には運転台)の指令で走行/停止できることだ。これと安全を両立させるため、ブレーキは古くからよく考えられてきた。法的にもブレーキが具備すべき事項は幾つかあるが、以下2点が大きなポイントだと考えている。

(1)1カ所の指令で全車両同時にブレーキが作用すること(この性能を持つものを貫通ブレーキと呼ぶ)。
(2)列車分離時、自動的に列車全体にブレーキが作用すること。

 1825年イギリスのロコモーション号が本格的鉄道の始まりといわれるが、当時のブレーキには上記のような性能はなかった。必要な車両にテコなどでブレーキシューを車輪に押し付ける装置を配置し、係員が合図とともに動作させていた。1850年頃から列車の最高速度が上がり貫通ブレーキが必要になった。その指令媒体として、蒸気圧、水圧、空気圧、電気、軸やチェーンなどの機械などが用いられたが、最初に普及したのは機械的手法だった。

 一例を紹介すると、ロープを手巻きウィンチで張って後尾車両まで引き通す方式がある。ロープには摩擦車を吊り下げ、摩擦車は車軸(レール上を転がる車輪の軸)のやや上に離した位置にしておく。ブレーキ時にロープを緩めると、摩擦車が垂れ下がって車軸に接触し、回転力を得る。この動きを巻上機に伝え、巻上機はブレーキシューを押し付けるためのチェーンを引っ張る。このシステムはドイツなどで普及し、一部の軽便鉄道では1930年代初めまで使われた。引き通しロープが切れるとブレーキが動作し、列車分離にも対応する。当時、他の機械的手法では列車分離への対応はできていなかった。

 こうした機械的手法のブレーキは、ブレーキ力の調整が困難で故障も多かった。また構造上、長大編成には向かず、限られた固定長の編成列車で使われた。