インド生まれのベル氏は故郷のマドラス大学数学科を卒業後に米国に渡り、米ノースダコタ州立大学の大学院で1995年にコンピュータサイエンスの修士号を取得した。大学院卒業後は米国東海岸にある小さなスタートアップでソフトウエア開発者としてのキャリアをスタートさせた。2年後の1997年に知人に誘われて転職した米ユーセントリック(YOUcentric)も、社員数わずか6人という小さなスタートアップだった。

 ユーセントリックはCRM(顧客関係管理)ソフトウエアを開発するスタートアップで、ベル氏によれば「世界で初めてプログラミング言語に『Java』を使ってCRMを開発した会社だった」という。同社でCRM開発のリーダーになったベル氏は、それ以来、シリコンバレーと深く関わるようになった。同社が採用したJavaは、シリコンバレーの大手コンピュータメーカーの米サン・マイクロシステムズ(2010年に米オラクルが買収)が開発した。Javaに関する情報を集めるには、開発の中心地であるシリコンバレーに出張する必要があったからだ。さらにはサン自身がユーセントリックの大口顧客になったため、ベル氏は「1年の半分はシリコンバレーで過ごすようになった」と言う。

世界3、2、1位の業務ソフト会社で勤務

 ユーセントリックの事業は好調で、2001年には従業員数が300人を超えるほどまでになった。そして2001年、同社は業務ソフトウエア大手の米JDエドワーズに買収された。当時世界第3位の業務ソフトウエア会社だったJDエドワーズは、中小企業向けERP(統合基幹業務システム)が主力の会社。ユーセントリックのCRMを取り込むことで、成長が続くCRM市場に新規参入を図ろうとしたのだった。ベル氏はそのままJDエドワーズの従業員となり、ソフトウエアの設計責任者「チーフ・ソフトウエア・アーキテクト」として働くことになった。

 JDエドワーズも2年後の2003年に、当時世界第2位の業務ソフトウエア会社だった米ピープルソフトに買収される。ピープルソフトもERPが主力の会社で、JDエドワーズを買収することでCRMのビジネスを伸ばそうと考えていた。今度はピープルソフトで働くことになったベル氏はこのとき、ピープルソフトの本社があるシリコンバレーへ移住した。

 ところが2004年末、JDエドワーズを買収したピープルソフトも競合に買収されてしまう。ピープルソフトを買収したのは、データベース(DB)ソフトウエア最大手の米オラクルだ。しかもオラクルによるピープルソフトの買収は、買収される側の経営陣の反対を押し切った「敵対的買収」だった。

 それまでベル氏が体験した買収は全て友好的なもので、ベル氏の開発していたCRMソフトウエアは、買収先の会社でも継続して販売が続いていた。しかしオラクルによる買収の狙いはピープルソフトの顧客基盤を得ることにあり、製品ではなかった。実際にオラクルは買収が終了するなり、ピープルソフト出身者を数千人規模でリストラしている。ベル氏はそんなオラクルに見切りを付け、業務ソフトウエア世界最大手の欧州SAPに転じた。