本コラムでは、日本メーカーの管理者や社員が抱える悩みに関して、トヨタ自動車流の解決方法を回答します。回答者は、同社で長年生産技術部門の管理者として多数のメンバーを導き、その後、全社を対象とする人材育成業務にも携わった経歴を持つ肌附安明氏。自身の経験はもちろん、優れた管理手腕を発揮した他の管理者の事例を盛り込みながら、トヨタ流のマネジメント方法を紹介します。
悩み
新規事業を開発する部門の管理者を務めています。世界的に競合企業が増えており、会社の主力製品の業績が年々落ちています。そこで、昨今の円安の追い風を受けているうちに、新しい事業を生み出すことが急務となっており、比較的発想力がありそうな若手社員から中堅社員の活発な提案を期待しています。しかし、残念ながら提案数が少なくて困っています。社員の背中を押す良い施策はありませんか。

前回から)若手に積極的に挑戦させるトヨタの風土はどう育まれているか。肌附氏は今から30年以上前、30歳の手前のころに会社の上層部を説得して、3億円を掛けてCAEシステムを導入した経験があるという。いったいどうやったのか。話は佳境に入る…

大金よりも大切なものとは

編集部:大金ですし、さすがに厳しいでしょうね。それでどうしたのですか?

肌附氏―シミュレーションの優位性を上司に認めてもらおうと思いました。しかし、その時点では使えるお金はほとんどなかった。そこで、考えたのが、パラパラ漫画を制作することです。

編集部:少しずつ違う絵を重ねてパラパラとめくることで、アニメーションのように連続的に動くように見せる漫画のことですね。

肌附氏―そうです。パラパラ漫画でCAEのシミュレーションを模擬的に再現することにしたのです。アルミニウム合金を熱して得た溶湯が金型の中に入り、キャビティーに充満して凝固していく。そして、肉厚の薄い箇所は早く固まる一方で、厚い箇所は凝固が遅れて鋳巣が出来る。この一連の流れを20分程度のパラパラ漫画で再現したのです。

 まず、私が10秒間隔の絵を描き、その間の絵を業者に依頼して描いてもらいました。これを映写機にかけてアニメーションにし、上司や部員に見せたのです。その後、私はこう訴えました。「今回は想像で描きましたが、これをコンピューターで解析したいんです。そうすれば、造ってから確かめるというムダをなくせます。そのためには、CAEシステムが必要です」と。

 それから数日後のことでした。私を見つけた上司が「肌附さん、CAEシステムの予算が下りたよ」と言ってきたのは。

編集部:20分ものパラパラ漫画を作ってまでCAEシステムが必要だと説いた熱意が会社側に通じたのですね。とはいえ、非常に大きな金額ですし、他社もほとんど使っていない。CAEシステムを導入するのはまだ早いと考えてもよいはずです。なぜ、会社は導入を決めたのでしょうか。

肌附氏―メーカーとして、常に前進する芽を摘んではいけないと考えるからです。トヨタ自動車は「弛(たゆ)まざる改善」を大切にしています。現状に満足する会社になってしまえば、成長も未来もありません。確かに、3億円という金額は当時のトヨタ自動車にとって大金です。しかも、大枚をはたいて買っても、そのCAEシステムをうまく使いこなせるという保証はありません。つまり、お金を捨てることになる可能性も否定できないのです。

 しかし、たとえお金を捨てることになったとしても、社員の前向きな意欲をそいで改善を止めてしまうよりははるかにましだと、トヨタ自動車は考えているのです。ものづくりの進化にプラスになると考えた社員の提案や積極的な姿勢を無視すれば、社員のやる気に支えられている改善が止まってしまいます。仮にそうなれば、トヨタ自動車は成長どころか衰退に向かってしまう。社員のやる気をお金よりも大切にするのは当然です。だからこそ、改善や新技術の開発にはお金を惜しまないのです。

 ただし、時と場合を考慮します。現在のように業績が良い時は問題ないのですが、2008年のリーマン・ショック後のように業績が厳しい際には、新技術の開発に関する提案でも通らないことがあります。しかし、それでも即却下ということはありません。「今はちょっと予算的に厳しい。もう少し待ってほしい。タイミングを見計らおう」と上司は言うのです。

編集部:とはいえ、現在の好調ぶりを踏まえると、トヨタ自動車にクルマ以外の新規事業が特に必要な状態とは思えません。