引き続き、読者のビジネス力の“根本的”な向上を狙って、“超精密な思考力”、しかも「抽象的」なそれの獲得に繋がる哲学のお話を。今回は、視野を広げる話のオマケ付き。

あらゆる学問における最大のテーマとは?

 さて、この「みんな本質を分かっていない」シリーズでは、それまでのシリーズでも見てきた「本質」を哲学的に掘り下げることから始めて、「本質」を含む「普遍」というものが存在するかをめぐる古代からの「普遍論争」に終止符を打った(はず)。続いて、「普遍」は「概念」でもあることを確認し、「普遍」を含む「観念」とは何かを見た。さらには、「観念」を精神内部の「事物の像」全体の中に位置付けてみた。

 また、その中で、いまだに人類にとって大きな謎であるはずの「関係」とは何かを考えた。正しい「認識」を得るために欠かせないものである「論理」とは何かもだ。

 これで、哲学的な高い抽象性に耐え続ける困難を突破してきた読者は、「本質」についての全体観を獲得できたのではなかろうか。「本質」と密に関連し、2000年を超えて哲学上の主要なテーマである「観念」、「普遍」、「概念」、「カテゴリー」についての知見もである。

 しかし、ここまで来たら、どうしても見ておくべき哲学上のテーマがある。それは、おそらく哲学上の最大のテーマにして、あらゆる学問における最大のテーマ、「意味」とは何か、である。

「意味」とは何か

 「意味」とは、「感じるもの」であり、「感じるもの」とは、見方を変えれば「感じさせるもの」だ。そして、「感じさせるもの」とは、「影響」の1種であるから、「意味」とは「影響」の1種である。

 ならば、「意味」とは、「作用」であることになり、この「作用」は、これまで述べてきた精神内部の「事物の像」である。

 だから、「意味」とは、精神内部の「事物の像」という「作用」なのだ。「事物の像」を事物に当てはまる「認識」と、当てはまらない「空想」に分けるなら、「意味」とは、「認識」と「空想」という精神内部の「作用」なのである。そして、これらは、「感じるもの」として見れば、「認識」という「精神内部に再現した外なる世界」と、「空想」という「精神内部に創造した内なる世界」であると言える。

 なお、万物に関連するものである「意味」を「作用」とするには、「作用」がそれに相応しい大きな「カテゴリー」であると考えることが欠かせない。ところが、万物の分類=「カテゴリー」分けが不完全であったが故に、人類は、「作用」がそれほど大きな「カテゴリー」であると考えてこなかった。また、「感じるもの」とは、見方を変えれば「感じさせるもの」であることに気付かなければ、「意味」を「作用」とすることは難しい。ところが、人間は、このようなごく単純なことにもなかなか気付かないものだ。長きにわたって「意味」とは何かが解明されてこなかった理由は、こうしたものだろう。