今回も、読者のビジネス力の“根本的”な向上を狙って、“超精密な思考力”の獲得に繋がる哲学のお話を。

「関係」とは何か

 「事物」は、認識されてはじめて我々にとっての「事物」となる。ならば、「事物」を分類する上で、認識の構造を把握することは役に立つはずだ。そこで、認識の構造も見ておきたい。

 「認識」には、1つの単語が付与される「認識」と、複数の単語が付与される「認識」がある。そして、複数の単語が付与される「認識」は、1つの単語が付与される「認識」と、1つの単語が付与される「認識」の間の「関係」、「認識」全体の「範囲」でできている(図1)。

図1 認識の構造
図1 認識の構造
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 この内、「認識」は、「存在する事物の像」である。既に述べたように、「範囲」は、「存在しない事物の像」だ。

 そして、「関係」は、ややこしい。「関係」は、「物質」間の「作用」という「存在する事物の像」であることもある。これには、「法則」と呼ばれる、一定の条件下で常に成立する「関係」も含まれる。対して、「物質」と「量」「形」間の「持つ(持たれる)」「属す(属される)」という「存在しない事物の像」であることもある。また、「論理」という「存在しない事物の像」であることもある(そうと意識されることはまずないけれど)。

 「関係」とは、アリストテレスや世の中が考えるような『「事物」間の何か』ではない。あくまでも「認識」の構造上発生する『「認識」間の何か』であり、それが“『「事物」間の何か』の像”であることもあると考えておいたほうよさそうである。

 なお、一般的に、「認識」の一部も「認識」と考えられている。だから、そのことに従えば、「関係」も「範囲」も、広義の「認識」の一種に他ならない。

 ちなみに、一般的に考えられている「構造」とは、「構成要素」と「構成」の組み合わせであるが、この世に「構成要素」と「構成」以外は存在しない以上、「構造」は存在し得ない。よって、「構造」もまた「観念」である。