古代から続く哲学上の論争に、中世においては「普遍論争」と呼ばれた「普遍は存在するか」をめぐるものがある。一匹一匹の「猫」としての「猫」のような、1つひとつの「ある事物」としての「ある事物」を「個別」とし、全ての「猫」としての「猫」のような、全ての「ある事物」としての「ある事物」を「普遍」とするときの、「普遍」は存在するか否かの論争だ。今回は、普遍的なものである「本質」を掘り下げる一環として、私なりにこの2000年を超える論争に終止符を打ってしまいたい。

この世には、事物が持たない「普遍」がある

 「普遍」とは、一般的に「ある事物全てに共通するもの」、(厳密には「ある事物全てに共通し、他の事物全てに共通しないもの」)とされるものである。よって、「普遍」には、「事物が持つもの」と「事物が持たないもの」があり得る。

 そして、このうち、「事物が持つもの」である「ある事物全てに共通するもの」は、多くの人が、一匹一匹の「猫」としての「猫」全てが共通して持つ特徴のような、1つひとつの「ある事物」としての「ある事物」全てが共通して持つ特徴と考えるものだ。

 対して、「事物が持たないもの」である「ある事物全てに共通するもの」は、多くの人が“事物が持たないのに事物に共通するものなんてないから、そんなものはない”と考えるものである。

 しかし、「事物が持たないもの」である「ある事物全てに共通するもの」には、次のことから、全ての「ある事物」としての「ある事物」という「ある事物全てに共通して当てはまるもの」があると言える。