吉田沙保里選手は何に負けたのか

──これからはどのような設計マネージャーが求められるのでしょうか。

國井氏:かつては日本に「カリスマ設計者」がいました。例えば、第二次世界大戦の頃には「一式陸上攻撃機」の本庄季郎氏、「三式戦闘機(飛燕)」の土井武夫氏、陸上爆撃機「銀河」を設計して後に「新幹線」を手掛けた三木忠直氏といったカリスマ設計者です。戦後では「スカイライン」を設計した桜井眞一郎氏が有名です。彼らは全て、「設計の優先順位」の概念を持った「戦略的(攻撃的)設計思想」の持ち主だったのです。「過剰品質」と「過剰機能」は、「なんでもあり」という設計思想なき概念であり、「なんでもあり」は、戦略ではありません。これでは攻撃もできません。

 日本のものづくりは、先に述べた工場からのボトムアップに長けていることもあり、生産と生産技術の実力が高いと言えます。ただし、彼らはどちらかと言えば「守り」のものづくりが得意です。品質やコストを造り込むことに長けています。でも、特徴のある製品を造るという「攻め」のものづくりを担うことは難しい。競合企業をしのぐ特徴を備えた戦略的なものづくりを積極的に仕掛けるのは、やはり、設計者なのです。

 先のQC活動の話に戻ると、日本企業にはカリスマ設計者がいなくなり、多くの設計者が品質と多機能を追い求めるようになった。その半面、戦略的設計思想を忘れてしまったというわけです。これからの厳しい競争を勝ち抜くには、戦略的設計思想を備えた設計を力強く牽引する設計マネージャーが必要です。

 戦略的設計思想を備えた設計マネージャーとは、具体的には、競合製品の長所と短所を分析できる、それを基に戦略を立てられる人のことです。野球の名監督と呼ばれる人は、ピッチャーが構えただけで次の球筋を見分けられるといいます。リオ五輪の女子レスリングでは、金メダルが確実視されていた吉田沙保里選手が決勝で米国のヘレン・マルーリス選手に敗れ、泣きじゃくった姿が印象的でした。敗因について、当時の日本の報道は「どこかに慢心があった」「一瞬のミスが命取り」といった見方が多かったと記憶しています。あるいは、吉田選手の技術や力が衰えてしまっていたのでしょうか。いや、違うでしょう。

 マルーリス選手側は、何としても金メダルが欲しかった。そのためには、絶対的王者である吉田選手に勝たなければならない。マルーリス選手はそれまで世界大会で2度もあっさりと負けていた。しかし、いつまでも吉田選手に金メダルを取らせておくわけにはいかない。そこで、負けた経験も生かしつつ、徹底的に吉田選手の戦い方を分析したのです。こうして吉田選手の弱点を見いだし、自分の長所を引き出しながら戦略を立てた。吉田選手への勝利は、まさに、分析と戦略の賜(たまもの)なのです。

 プロスポーツや五輪などの世界大会では、競合選手やチームを分析し、戦略を立てることは常識です。分析と戦略なくして世界一になることなど、あり得ない。だからこそ、マルーリス選手は分析力の長けた人をコーチ陣に加えている。

 世界中のライバルと競わなければならない製造業でも、これは同じこと。しっかりと分析を行い、それを基にきちんと戦略を立てることができる人がいなければ、世界で勝ち残ることはできません。そして、それを担うのが、設計マネージャーなのです。日本企業の中で、本当の意味で「攻撃」を仕掛けられるのは設計マネージャーだけなのですから。