アトキンソン 旅行のガイドブックを出そうという話になって、世界遺産の魅力を伝える解説文を依頼すると「なぜ自分たちが解説しなければならないのか」と協力を嫌がる専門家がいます。「世界遺産なのだから来るのは当たり前で、むしろ光栄に思え。勉強して来い。私は研究者であって、観光客に解説するために給料をもらっているのではない」くらいに考えている。全員がそうだとは言いませんが、そういう人たちは相当数いますよ。
川口 要はバランスの問題なんですよね。例えば科学者だって、人や社会の役に立とうと思って研究をしてはいないですよ。本音では自分が好きなことを研究しているわけです。もちろん、最近は予算を確保するために研究の有用性をアピールして「人類の未来の役に立ちます」と言わなければなりませんけど。
すごく尖った研究をしていて「相当にすごいらしいぞ」と尊敬される内容であれば、好きでやっていてもいい。どんな分野でもトップクラスに究めているような人たちは、研究自体が目的化しても構わないと思います。それは「雅(みやび)」なことですから。そういう人たちは社会全体、あるいは国や自治体、企業の単位で養うべき存在です。そうした人たちをリスペクトの対象として社会が愛でることでソフトパワーが育ちます。
ただ、最近は“もどき”の人が多くなってしまっている傾向があるように思います。「あなたは、そこまで言えるほどではないでしょう」という実力のない人までもが、いかにもすごいという振りをしている。社会がそれを許してしまう風潮もある。
先ほどアトキンソンさんも言っていたように、全員が全員愛でられる立場、つまり貴族だけになってしまうと社会は立ち行かなくなってしまいますよね。