楽になると、考えなくなる

――なぜでしょうか。

北山 一真(きたやま かずま)
北山 一真(きたやま かずま)
プリベクト代表取締役。IT系コンサルティング会社、製造業系コンサルティング会社ディレクターを経て、2010年にプリベクトを設立。競争力ある製品/もうかる製品の実現のため、設計と原価の融合をコンセプトにした企業変革に取り組む。業務改革の企画/実行、IT導入まで一気通貫で企業変革の実現を支援。設計高度化、設計ナレッジマネジメント、製品開発マネジメント、原価企画、原価見積、開発購買、ライフサイクルコスティング、意思決定管理会計、BOM、3D-CAD、PLMなどのコンサルティングを手がける。著書に『赤字製品をやめたら、もっと赤字が増えた! ―儲かる製品を実現するコストマネジメント』(日刊工業新聞社)、『プロフィタブル・デザイン ―iPhoneがもうかる本当の理由―』(日経BP社) 。他執筆多数。
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北山 楽さばかりを追求すると、そのうち何も考えなくなってしまうのです。例えば、標準化では標準をいったん確立してからも「本当にそれでいいのか」ということを問い続け、標準を常に改善していくことが重要です。ところが、「楽をしたい」という気持ちが前提にあると、それは何も考えないのが一番楽なので、そのうち言われたことや、最小限のことしかやらなくなってしまうのです。そうすると、設計業務そのものがどんどんゆがんでいきます。

 本来なら、品質を高めるとか、付加価値を生み出すとか、そういうことを目指さなければならないはずです。例えば、標準部品を設定したら、それは長く使うものだし、多くの技術者の目に触れるものだから、品質が良くなる気付きが多いはずです。だから、継続的に改善できるし、実際にしていかなければならない。ところが、誰もそこに触れようとしなくなってしまうのです。標準を改善しようとしたら、楽をできないからというのです。実際、「設計工数を○○%削減」が目標になっていると、“余計”なことはせず、流用設計で浮いた工数をそのまま浮かせておかないといけないことがあります。これでは本末転倒です。

 従って、標準化の最終的な目的は、品質を高めることや、付加価値を生み出すことなどにしなければなりません。そのための余力を確保するために効率化するわけです。工数を削減することは、あくまで手段であって、目的ではないのです。流用設計というのは、どうしても楽をすることに主眼が置かれていて、空いた時間で何をするのかということが明確ではないので、こうした問題が起きるのです。