今度はニュートリノが物理学を危機に陥れる

 ここまでは、ニュートリノがエネルギー保存則、つまり物理学を救った話だった。ところが、ニュートリノの観測が可能になってまもない1960年代以降、それとは逆にニュートリノが物理学の標準理論の存立を揺るがす存在になってしまった。それが「太陽ニュートリノ問題」である。

 標準理論では、太陽中心で起こっている核融合反応はすべて説明でき、その反応率から太陽から放出されるニュートリノの量もかなり厳密に計算できる。ところが、実際に太陽から地球上に届くニュートリノを観測してみると、理論値の約27%しか観測できなかったのだ。

 これを観測したのは米国の天文学者だったが、当初は他の研究者から「何かの間違いだろう」としか思われていなかった。初期のニュートリノ観測装置だったため、ニュートリノが来る方向やエネルギー分布などが分からなかった。一方で、観測結果を認めてしまうと標準理論への影響が大きい。こうしたことから事実上、見て見ぬふりをされていたようだ。

 この状況を変えたのが、当時、東京大学 教授だった小柴昌俊氏と戸塚洋二氏らだった。小柴氏らは、陽子の崩壊を調べるために岐阜県神岡鉱山の地下に観測施設「カミオカンデ」を建設。1983年に運用を始めた。陽子は、存在する粒子(正確にはバリオン)の中で最も寿命が長い粒子だが、標準理論ではその寿命を明確に計算することができない。この寿命を測定できれば、標準理論の検証の一助になるというのが動機だった。

 当時は陽子の平均寿命は1032年程度ではないかとみられていた注2)。宇宙の年齢が138億年(約1010年)だから、陽子の平均寿命は宇宙年齢の1022倍(1兆の10億倍、あるいは1京の100万倍)も長いことになる。それでも、膨大な数の陽子の中には、短い時間で崩壊するものがあるはずで、それを観測しようと考えたのである。それでも、極めて低い崩壊確率のために陽子崩壊の観測は成功せず、観測装置の存在意義が疑われる状況になりかねなかった。

注2)現在、陽子の平均寿命は1035年以上であることが分かっている。

 そうした背景の中、カミオカンデはその本来の目的とは違うところで活躍し始めた。カミオカンデで陽子崩壊を検出する原理は、基本的にはニュートリノを検出する原理とほぼ同じだった。このため、戸塚氏らは、カミオカンデを用いて太陽ニュートリノ問題を検証しようと考えたのである。

 観測装置を陽子崩壊の検出から太陽ニュートリノの検出へと調整しなおしていた矢先の1987年2月23日、日本時間16時35分、大マゼラン星雲にあった恒星が超新星爆発を起こし、「超新星1987A」として観測された。

 戸塚氏によれば2月24日になって、海外の研究者から「もしかして超新星1987A由来のニュートリノが観測されているのはないか」と指摘を受けた。いそいで神岡から観測データを記録した磁気テープを東京へ取り寄せたのが2月27日。そこからデータを解析したところ、果たして超新星1987A由来のニュートリノが11個見つかった。

 カミオカンデは超高感度の光電子増倍管を筒状に配置したいわば3次元の巨大撮像素子。このため、ニュートリノが到来した方向が分かり、それが大マゼラン星雲方向と一致したのである。ニュートリノのエネルギーも太陽のそれより大幅に高かった。

 これがきっかけで、カミオカンデはニュートリノの観測装置としての役割がメインになっていく。その後は、太陽からのニュートリノ検出に主に利用された。米国の初期の観測と同様、太陽ニュートリノは理論値の約46%しか検出できなかった。これらが、2002年の小柴氏らのノーベル物理学賞受賞につながった。

 世界の物理学者はもはや見て見ぬふりができなくなった。理論値と観測した値が2~3倍もずれていることは単なる誤差では説明が付かない。理論値の基になった標準理論はその他の多くの実験事実と矛盾せず、盤石になりすぎて修正自体が容易ではない。それでも、多くの研究者が太陽ニュートリノ問題を、標準理論の正しさを揺るがすものとして深刻に受け止めた。

 この結果、1990年代前半はなんとかこの件を説明できる理論探し、あるいは既存の理論の“間違い探し”が盛んに進められた。戸塚氏は1990年の講演で、「当初は太陽中心の温度が理論よりも低いのではないかと考えたが、温度を下げるともっと実験値と合わなくなる。ニュートリノの理論が間違っているかもしれない」と当時の見解を述べている。

 ほかにも、太陽中心部の核融合を説明する理論に誤りがあると考える研究者もいれば、いや重力定数Gの値が実は時間と共に強くなったり弱くなったりして振動しているという「重力定数振動説」を提唱する研究者もいた。Gが異なると、太陽中心部での重力の強さが変わり、結果、核融合の反応速度が変わり、ニュートリノが少ないことが説明できるというのである。しかし、重力定数振動説は、他の部分で観測事実と大きく矛盾することが分かり、立ち消えになった。

 代わりに台頭してきたのが「ニュートリノ振動説」である。この説は、3種類のニュートリノ(νe、νμ、ντ)が実は、時間が進むにつれて互いに入れ替わるという説だ。太陽中心部で発生するのはνeだが、地球に到達するまでに、一部がνμやντに変化している、というのである。この現象は、ニュートリノに質量があり、しかもνe、νμ、ντに質量差がある場合に発生する。理論としては数十年前からあったが、ニュートリノは観測が容易ではないため誰も検証できず、放置されていた。

 そのニュートリノ振動説は太陽ニュートリノ問題のおかげで息を吹き返した。「フレーバー(香り)」とも呼ばれるニュートリノの種類が異なると、観測できるニュートリノのエネルギーも変わってくる。カミオカンデなどの観測装置ではあるエネルギー以上のニュートリノしか観測できず、そこから外れると「なかった」ことになってしまうと考えられた。このため、より低いエネルギーのニュートリノを観測できる装置が必要だった。そして建設されたのが、カミオカンデの水槽の容量を約16倍に拡大したスーパーカミオカンデだった。

 1996年に稼働したスーパーカミオカンデは2年後には、従来のνeに加えて、νμとみられるニュートリノを観測。これを戸塚氏と、当時、東京大学宇宙線研究所助教授だった梶田隆典氏らが主導した。

 そして、2001年にはカナダのSudbury Neutrino Observatory(SNO)に建設されたニュートリノ観測装置が、νe、νμ、ντすべてを観測した。これらを全部合わせてみると、当初の太陽ニュートリノの理論値と一致した。つまり、太陽ニュートリノ問題は、ニュートリノ振動説で説明できることになり、今回の梶田氏とSNOのMcDonald氏のノーベル物理学賞受賞につながった。ニュートリノ振動が確認されたことで、バトンは標準理論の修正へと渡されている。

 現在、神岡鉱山の地下では、容量がスーパーカミオカンデの20倍となる「ハイパーカミオカンデ」の建設が2025年の稼働を目指して進められている。主目的は、当初のカミオカンデの目的だった陽子崩壊の検出である。