舛方アナウンサーの疑問

 資料によりますと、当時アナウンサーで著名な日本テレビの舛方勝宏氏が、陸上競技の中継の際にいつも、この言葉の生みの親は誰かを不思議に思っていらしたそうです。そこで、あるテレビ局が「謎学の旅」という番組企画で、それを受け、調査団を作りこの謎を追いましたところ、真相にたどり着いたのでした。

 調査団は最初、調べる糸口を見いだせなかったそうです。はっきり分かっているのは、「いちについて」「よーい」「ドン」が明文化されたのは、1929(昭和4)年発行の陸上競技規則だったことでした。そこで、昭和4年より前に開かれた大きなスポーツ大会を調べてみようと考えたそうです。

 そこで見つけたのが、1878(明治11)年、あの「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク(William Smith Clark)博士で知られる札幌農学校(北海道大学)で開かれた大会。これに目をつけた調査団は、北海道まで赴きました。

 しかし、当時「遊戯会」と名付けられたそのスポーツ大会では、残念なことに「よーい」「ドン」は影も形もありませんでした。「いちについて」の代わりには英語の「アテンション(Attension)!」があてられていました。この大会はリクリエーション的要素が強く、面白いことに札幌市民の参加が許されており、市民たちは「合点承知」のもじりで「がってんしょん」だと覚えていたそうです。

 そのころは陸上競技という言葉もありませんでした。「力芸」といわれていた競技に初めて「陸上競技」という言葉をあてたのは正岡子規です。1896(明治29)年の随筆集「松羅玉液」で記述しました。子規は「ベースボール」に「野球」という日本語をあてはめたことでも有名です。

 「よーい」「ドン」以前に用いられていたスタート合図は、他にもいろいろありました。例えば。破れた傘を持ち、「いいか」と大きな声をあげる。「いちについて」の代わりです、「よーい」が「ひい、ふう、みい」で、その傘をパッと振り下ろすのが「ドン」でした。また明治の末から大正にかけては、「腰を上げて待てえ」「おんちゃなケツ上げえ」「ケツ上げろ」などで「いちについて」を指示していたことがあるそうです。決してお上品な言葉とはいえませんが。これを大声で叫んでスタートしていました。

 驚くことに、「オン・ユア・マーク、ゲット・セット」という英語も使われていたのです。

 ポイントはここです。この英語に代わる日本語の出発合図用語を求めた全日本陸上競技連盟が懸賞募集をかけ、その当選作が「いちについて」「よーい」「ドン」であったのです。新用語は1928(昭和3)年3月4日の東京日日新聞に発表されました。東京に在住の考案者は、競技者たちのスタートの姿を見ているうちに、この言葉が自然と頭に浮かんだそうですが、この誕生により多くの人々が感動する幾多のドラマがスタートするわけです。