“サーキットの狼”に登場

 サクセスストーリーの大きな要因は、ヘルメットの品質がよいのはもちろんですが、もうひとつ、レースに焦点を絞った戦略の勝利ともいえるでしょう。

 人に世界一安全なヘルメットだと信用してもらうためには、その証明をしなければなりません。しかしそれは極めて困難です。現実の事故の条件は多様ですから、一定の条件に設定する試験で良い値を出したとしても、安全性の証明としては不十分です。かといって現実に事故を起こして試すわけにはいきません。むしろ現実には、安全性を証明する機会がないことこそがベストです。

 そこで理夫社長は、街中での乗車よりも転倒する可能性が多く、ヘルメットの安全性を理解し、かつ最も必要としているレーサーにかぶってもらい結果を出せれば、安全性や信頼性が多くの人に伝わるのではないかと考えたのです。レース界に参入することを目指した理由は、そこにありました。

 そして、結果的にアライをかぶった数々の選手がレースで優勝するという幸運に恵まれ、社長の予想をはるかに超える、絶大な宣伝効果を得ることができました。アライ製ヘルメットの安全性は広く知られるようになり、“Arai神話”を生むまでになりました。「普通なら転んで頭を打って気絶するような場面でも、Araiをかぶっていれば気絶せず、無傷で済む」と。

 その頃、漫画雑誌『少年ジャンプ』で「サーキットの狼」の連載が始まり、主人公がアライをかぶり紙面で活躍したこともあり、ブランド浸透は一気に加速しました。世の中の二輪車ブームを追い風に、アライ人気は沸騰したのです。

 1983(昭和58)年ごろ、レーサーレプリカヘルメットがブームになりました。同年9月、ついにアライをかぶるフレデリック・スペンサー(Frederick "Freddie" Burdette Spencer)がGP500のチャンピオンになりました。GP500はバイクの世界選手権であり、最高峰の選手権といっても過言ではないレースです。日本製ヘルメットが初めて世界の頂点に立ったのです。