ただ、インタビューを通して別の仮説が浮かんだ。言葉の端々から、2004年アテネ五輪のあの"歴史的敗北"が名将・井上康生の原点になっているのではないかと思うようになったからだ。選手たちに自分と同じ失敗を経験してほしくない。そんな強い思いが井上氏を類まれなリーダーへと変えたのではないだろうか。

 日本選手団の主将という重責を負って出場したアテネ五輪。日本中が井上氏に五輪2連覇への期待を寄せたが、準々決勝で一本負け、その後、敗者復活戦に回るも再びあっさりと一本負けを喫し、うなだれながら晴れ舞台を去ることになった。

指導者は「しくじり先生」になれ

 「『メダルを取るのと取らないのとは大きく違うよ』と。選手たちにそれは繰り返し言い続けました。それを一番悔やんでいるのは私だと。メダルを死守するという思いをもう一度奮い立たせれば、違った結果になったはず。それをいまだに後悔している一人です」

 「あそこでもう一度気持ちを整理させることができていれば。なぜそうしなかったのか…非常に悔いが残っています。『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系列)というテレビ番組がありますが、私は面白おかしく語ろうとは思いません。思わないのですが、でも自分が経験した苦しい思いは、指導者として選手たちに伝えないといけない。それは成功談以上に伝えないといけません。選手たちへの愛情があれば、そういう思いをさせたくないので」

 「名選手は名将にはなれない」。井上氏がそんな世にはびこるジンクスを覆すことができた陰には、圧倒的な強者でありながら、過去の苦い経験を経て弱者のメンタリティーにも理解が及ぶようになった点が大きかったのではないだろうか。

 失敗を直視する井上氏の真摯な姿勢が、現実を踏まえた独自のリーダー論へと昇華されたことで、リオ五輪の偉業が生まれた。「私は世の中で評価されているような有能な指導者ではありません」。何度も繰り返す謙遜の言葉からも、その仮説が的を外していないとの思いを強くした。

東京五輪ではさらなる進化を

インタビューでは温和な表情も垣間見せた井上康生氏。柔道着をまとった瞬間、厳しい柔道家の顔に変わった
インタビューでは温和な表情も垣間見せた井上康生氏。柔道着をまとった瞬間、厳しい柔道家の顔に変わった

 9月には、2020年の東京五輪に向け、井上氏の監督続投が正式決定した。この4年間で「井上流改革」はさらなる進化を求められることになる。

 「柔道家にとって4年前の出来事(ロンドン五輪)はあってはならないことだったかもしれないが、あの出来事があったからこそ、新たな『気づき』が得られ、それぞれが真剣に柔道に向き合うことができるようになりました。人間、どうしても成功が続くと、知らず知らずのうちに心が緩みます。やはりどこかに油断があり、それがあのような形で表れたのではないかなと。私も含めてそんな反省があります」

 「4年後には柔道界だけでなく、日本にとってのビッグイベントが控えています。だからこそ、今回のリオ五輪の結果に満足することなく、より一層進化することを求めていく。そのために日々考えて、学んで、全力で取り組んでいかないといけないと考えています」

 井上康生氏は、日本スポーツアナリスト協会が2016年12月17日に開催するイベント「SAJ(スポーツアナリティクスジャパン)2016」(場所:日本科学未来館)で、「柔道ニッポン復活への道標~データの活用と勝負の分かれ目~」と題した講演をする予定