2002年の日韓サッカーW杯が契機に

―― 「オリパラと地域活性化」を掲げたイベントなどの取り組みは他にも多く存在しています。今回のシンポジウムの特徴は。

御園 同様のテーマのシンポジウムは確かに増えています。ただ、現状は有識者の講演を聞いて学ぶというスタンスの取り組みが多い。もちろん、取り組みのとっかかりとなる情報収集としてはそれでいいのですが、ここにきて状況が変わっていているように感じています。実際の活動を本格化しようとする中で各自治体の担当職員は「自分たちはどう取り組めばいいか」を議論したいフェーズになっている。

 今回のシンポジウムでは、ホストタウンと地域活性化に関する4つのテーマについて参加者が話し合う場を設けようと考えています*1。せっかく同じ悩みを持つ参加者が集まるので、希望者が地方の特産品を持ち寄って、お酒を酌み交わしながら交流する会も第2部として企画しました。

 今回の1日だけで終わる取り組みではありません。ホストタウンに携わる人々が自分たちの成功例や悩みを共有し、情報交換する場として第2回、第3回につなげていきたいと考えています。

*1 4つのテーマは(1)「今こそホストタウン!地域を変える・日本が変わる」(コーディネーター:東京都教育庁指導部オリンピオック・パラリンピック教育調整担当課長 鈴木基成氏)、(2)「地域伝統文化を世界発信」(同:ニッセイ基礎研究所 社会研究部 研究理事 吉本光宏氏)、(3)「スポーツツーリズムとインバウンド観光」(同:筑波大学大学院准教授 JSTA理事 髙橋義雄氏)、(4)「パラリンピックから広がる地域の共生」(同:拓殖大学商学部准教授 松橋崇史氏)。

―― 地域活性学会でスポーツ振興部会を設けたのは2011年とのことですが、まだ2020年のオリパラ開催は決まっていませんでしたね。なぜ、スポーツだったのでしょうか。

福崎 私は、新潟県十日町市のスポーツコミッションで幹事長を務めています。十日町市でのスポーツを通じたまちづくりの取り組みは、実は2002年の日韓サッカーワールドカップ(W杯)に遡るんです。

 十日町市は、クロアチア代表のキャンプ地でした。当時は、キャンプ地の運営で手一杯。手応えを感じる余裕はなかったというのが正直なところです。しかし、数年後に「2002年の経験を生かさなければ」という機運が地元で再び盛り上がりました。きっかけは2008年に総合型地域スポーツクラブを立ち上げたことです。その際に2002年のキャンプ地運営に携わった人々が再結集しました。そうした時に御園さんと知り合い、学会という公の場で体験を共有しながら研究を進めていこうと。それが、スポーツ振興部会設立の1つのきっかけですね。

―― 2002年のW杯で、今でいう「ホストタウン」の取り組みを体験したと。そうした自治体は多そうですね。

松橋 ええ。2002年のW杯では25自治体がキャンプ地となりました。でも、その後に継続して経験を生かせている自治体はそれほど多くありません。以前、W杯のキャンプ地運営をスポーツを通じたまちづくりにうまく生かしている4自治体を調査しました。十日町市は、その中の1つです。

 十日町市の他には、W杯後に「松本山雅FC」の育成につながった長野県松本市や、キャンプ地誘致活動をきっかけに女子サッカークラブ「岡山湯郷ベル」を立ち上げた岡山県美作町(現・美作市)、NPO法人の出雲スポーツ振興21によるスポーツ事業や(キャンプを張った)アイルランドとの交流事業が継続している島根県出雲市があります。

 いずれもW杯でのキャンプ地運営を体験した人々が、熱い思いを継続できている自治体です。ある意味でキャンプ地運営は一過性の祭りですから、その時の熱さを継続して持ち続けるのは難しい。もちろん、多くのキャンプ地は、W杯後にもホストした相手国との交流活動に取り組んでいます。でも、なかなか続かない。行政の担当者が異動したり、相手国が次のW杯に向かっていたりする中で、2~3年で尻すぼみになってしまったケースが多いのです。