「彼女は、慶應義塾大学が生んだ代表的なイノベーターの1人」と同大学大学院の前野隆司教授が紹介するのは、和える 代表取締役の矢島里佳さん。2011年3月の大学4年時に会社を設立し、日本の伝統産業の技を生かした“0から6歳の伝統ブランドaeru”を立ち上げた起業家だ。「日本各地の職人さんによって生み出された“宝物”を、次世代につなぎたい」。そう考えた矢島さんは学生時代、ジャーナリストを目指していた。なぜ、伝統のものづくりに興味を抱いたのか。
和えるの矢島さん(左)と、前野教授(写真:加藤 康)
和えるの矢島さん(左)と、前野教授(写真:加藤 康)

「社会的職業」と「自分的職業」

前野 あまり慶應義塾大学の宣伝になってはいけないとも思うのですが、僕は矢島さんのことを「慶應義塾が生んだ代表的なイノベーターの1人だ」と思っているんですよ。

矢島 ありがとうございます。

前野 イノベーションについて講演をする際に、僕はよく矢島さんのことを紹介するんです。「伝統を復活させる」という思いをイノベーションにつなげている事例として。「日経 xTECH」の読者である技術者にも、ヒントになることは多いのではないかと思っています。

矢島 和えるが扱う商品は「伝統の技術者たち」によるものですので、つながるところがある気がしております。

前野 「社長になる!」と起業自体を目的にする人は、うまくいかないケースが少なくないと思います。矢島さんは「社長になろうと思って社長になったのではない」ですよね。

矢島 学生時代は、ジャーナリストを目指していました。ジャーナリストになろうと考えて取り組んでいたら、起業家になっていました。社会的職業は起業家ですけれど、自分的職業は今もジャーナリストだと思っています。

前野 「社会的職業」と「自分的職業」とは?

矢島 例えば、前野先生の「社会的職業」は大学教授ですよね。でも、「自分的職業」は、そうではないかもしれません。

前野 え? 僕の自分的職業は何なのでしょう?

矢島 それは、「幸せな人」という職業かもしれないし、「幸せな人を増やす」という職業かもしれません。「社会的職業」は手段の一つでしかなく、「自分的職業」は自分の本質部分だと思います。つまり、その本質を社会の中で表現していくときに、何かしらの「社会的職業」というものがあるだけなのではないかと。

前野 なるほど、確かに。

矢島 私の場合、社会的職業は「創業者」「起業家」「代表取締役」で、噛み砕いて言えば「経営する人」「人を雇う人」ということになります。でも、あまりにも記号的な印象が強いと感じています。私は、今でも自分の職業を「ジャーナリスト」だと思っているので、ジャーナリストとして自分を一番表現できる場がこの和えるという会社なのです。

“0から6歳の伝統ブランドaeru”の商品。直営店「aeru meguro」(東京・目黒)で(写真:加藤 康)
“0から6歳の伝統ブランドaeru”の商品。直営店「aeru meguro」(東京・目黒)で(写真:加藤 康)

前野 矢島さんが考えるジャーナリストは、どういう仕事ですか。

矢島 「伝える仕事」だと思っています。私は常に「伝える職人」になりたいと考えていて、そうなることを追求し続けています。

前野 「伝える職人」になりたいと思ったのはいつですか。

矢島 小学生の頃ですね。

前野 和えるのコンセプトである「伝統」というキーワードは、その頃から考えていましたか。

矢島 それを考えるようになったのは、大学に入ってからです。それまでは「何かを伝えたい」と思っていただけでした。ですが、「何か」ではお仕事にならないので、「何を伝えたいか」を大学1〜2年生のときに考えました。その過程で自分が日本の文化や伝統に憧れている日本人なのだ気が付いたのです。自分の人生を幼少期から振り返ったときに、常に日本を追い求めていて、知恵にあふれる田舎に憧れていることが分かりました。