季節外れの話で恐縮ですが、ふっと「背くらべ」という童謡を想い出しました。28歳という若さで逝った「海野 厚(うんの あつし1896~1925)」の作品です。歌詞の冒頭で歌われているのが「はしらのきずは おととしの 五月五日の 背くらべ」という、あの歌です。

 当時、大学入試のために実家を離れていた作者が、弟たちは元気に暮らしているかと心配して、弟たちの視点で書いた作品ということです。

 今では、国民の祝日になっている子供の日に歌われることも多いそうですが、この歌に込めた作者の心情は、日本人の情緒や機微をよく表しているのはもちろんですが、その他にも大きく深い意味があるのではないかと、私は思うのです。

 作者には3人の妹と3人の弟がいましたが、中でも17歳年下の末弟を特に可愛がっていたようです。ですから、その弟を気遣いながら、弟の気持ちを代弁するかのような歌詞になったということです。2段目の、「ちまきたべたべ 兄さんが はかってくれた 背のたけ」というくだりに、この弟が兄である作者を慕っている様子がうかがわれ、何とも言えないほのぼのとした感じが伝わってきます。

 当時は、学校でも身長を測りましたが、家庭でも家の柱にピタッと背中をつけて頭頂の位置を柱に刻印するように記したのです。それを、粽(ちまき)をモグモグと食べながら、小さな弟の身長を測っている兄の姿。今では見られない光景かも知れませんが、想像するだけでも、この弟と兄との兄弟愛が感じられるのです。

 それは、「はかってくれた 背のたけ きのうくらべりゃ 何(なん)のこと やっと羽織の 紐(ひも)のたけ」と続きますが、これはその弟が、自分でおととしの柱のキズと比べたら、やっと羽織のヒモの長さくらいになった、その報告をしたいのに…という、切ない気持ちに込められています。静岡と東京に離れて暮らす弟と兄。その寂しさを、自らの成長を背丈に託して伝えたいという心情を見事に表現しているのです。

 また歌詞の二番では、「柱にもたれりゃ すぐ見える 遠いお山も 背くらべ 雲の上まで 顔だして」と続けて、その柱にもたれ掛かって外を見たら、遠くに見える山々も雲の上に頂上を出して、まるで背比べをしているようだと、自身と重ねた家族愛を歌う心情が、豊かな情景と共に伝わってきます。

 そして、「てんでに背伸(せのび)していても 雪の帽子を ぬいでさえ 一はやっぱり 富士の山」と、それぞれに色々な気持ちがあろうとも、やはり兄さんが一番と、富士山に見立てた兄に会いたいという、弟の可愛い希望が込められているのです。