前回は90年代から今までインターネットによって世界のIT業界の構図が大きく変わったことをざっと述べた。

 技術とビジネスモデルのイノベーションでは、米国がその他の世界をどんどん引き離し、飛び抜けた存在になっている。一方、日本は得意だった製造業で台湾と韓国に追い付かれた。さらに中国が急速に追い上げ、世界の製造工場までに成長した。日本は上流のイノベーションと、下流の製造に挟まれている格好だ。また、米国は製造業を復活させたい。中国などはイノベーション力を高めたい。中間の隙間がどんどん狭くなりつつあり、日本企業は非常に苦しい戦いを強いられている。

 アベノミクスは為替と金融の点で日本企業を支援してきたが、肝心なのは、技術とビジネスモデルでイノベーションを巻き起こすことだ。それらなしでは、為替と金融による支援も息切れしてしまうだろう。これから、世界のIT産業の構図は大きく変わる見通しで、5年後もしくは10年後に誰が生き残っていけるか全く予測が付かない。

 これからの数回、日本とシリコンバレーのエコシステム上の違い、および1990年代以降、2つのエコシステムの各方面の変遷を比較しながら掘り下げていく。その中から、日本企業に残るソリューションが見えてくるだろう。

技術者で年収数億も

 まず一番重要なのが、優秀な人材の確保だ。人材確保のカギとなるエンジニアの収入について、シリコンバレーと日本の変遷をライブ感覚で再現してみよう。1995年7月に私がシリコンバレーに着任した時、シリコンバレーのエンジニアの平均年収はおよそ3万~6万米ドルだった(ストックオプションなどは含まない)。一方、日本のエンジニアの年収は400万~800万円だった。当時は1米ドル85円前後の超円高の時代で、日本のエンジニアの高給ぶりが目立っていた。

 20年ほど経た現在、その状況は完全に逆転した。シリコンバレーのエンジニアの年収は10万~25万米ドルになり、飛び切り優秀な人は200万米ドル(約2億円)超となった。ストックオプションなどを含めると、NFLやNBAとMLBなどのスター選手に並ぶことになる。対して、日本のエンジニアの年収は、大手企業ではほとんど上がらず、中小企業ではむしろ徐々に減ってきている。

 若い人たちはやがて結婚して子供が生まれ、家を買う。この20年間、シリコンバレーの住宅価格は5~10倍に高騰した。逆に日本の不動産価格は7割ほど下落した。シリコンバレーのエンジニアは、会社からストックオプションを受ける。スタートアップ企業に早期に参加した人ほど、多くのストックオプションをただに近い値段で手にできる。会社がIPO(新規株式公開)すると、たちまち億万長者になってしまう。シリコンバレーではこの20年間に数十万~百万人超の億万長者(数百万米ドル相当の資産家)が誕生している。若いエンジニアも少なくない。彼らは確実にアメリカンドリームを実現している。もし二人のエンジニアがそれぞれシリコンバレーと日本で同様に20年間働いたとすると、収入総額の差は10~100倍以上にもなる。これはとても痛々しい現実である。

 日本企業の社員の収入はかっては世界でも一流だったが、もはや二流に転落している。人件費が上がってきた台湾や韓国の企業、そして最近になって追い上げてきた中国企業との差も縮まっている。皮肉なことに、それが日本の製造業にとって、少しの助けになっている。それでも、日本で人件費が安いことは決定的な競争力にはならない。むしろ、イノベーションと研究開発に必要な超一流、ないしは一流の人材をキープするには非常に不利になる。実際のところ、日本の優秀な人材が外国企業にスカウトされ、流出するケースが少なくない。その逆、つまり外国から優秀な人材を日本に迎え入れることは現状では極めて難しい。