スポーツは様々なことを学ぶ場

 ドームは、米テンプル大学と筑波大学と共同で日本版の大学体育局やNCAAの構築に向けた共同研究に取り組んでいます。テンプル大学のジェレミー・ジョーダン上級准教授はよくこう話しています。

 「米国のNCAAには問題もあるが、良いところもたくさんある。大学スポーツの取り組みで米国よりも100年遅れている日本は富を取り損なっている。ただ、遅れていることで良い点が1つある。それは、日本は米国のNCAAの良い点と悪い点が分かっているということだ。良い点を中心に真似しながら、悪い点を改善し、日本独自の大学スポーツモデルを構築できる」と。

 筑波大学とテンプル大学、ドームが2017年3月29日に合同で開催した「米国大学における学生競技者に対する教育マネジメントの現状分析~日本版大学体育局(AD)モデルの構築に向けて~」の研究事業報告会の様子(写真:ドーム)
筑波大学とテンプル大学、ドームが2017年3月29日に合同で開催した「米国大学における学生競技者に対する教育マネジメントの現状分析~日本版大学体育局(AD)モデルの構築に向けて~」の研究事業報告会の様子(写真:ドーム)

 この共同研究の関係で、今年の1月には米国テネシー州ナッシュビルで開催された「NCAAコンベンション」に参加しました。NCAAや各カンファレンスの幹部、各大学の学長、ADのディレクターらが1年に1回、一堂に会するNCAAで最大のコンベンションです。スポーツ庁の方々にも参加していただき、日本の大学スポーツの改革の方向性を一緒に議論してきました。

 そうした活動の中で感じたのは、日本で多くの人がNCAAについて様々なことを語っていますが、実情を本質から把握できている人は極めて少ないということです。私たち自身も常に新しい知見を吸収して考え方がどんどん進化しています。この領域において日本の最先端を走っていると自負する私どもですら、半年前に考えた自分たちのプランを見直すと、本当に小っ恥ずかしい。1年前だともっと恥ずかしい(笑)。先を行く米国でさえ日進月歩で進化しています。

 例えば、半年前には、「ミネソタ大学やミシガン大学といった一流のADを持つ米国の大学で体育局長を務めた人材を日本に連れてきて、日本の大学でADを作っちゃおう」と考えていました。強力なリーダーが1人いればいいと思っていたのです。

 でも、それは間違っていました。ADや日本版NCAAの構築はグループでやるべき取り組みです。1人のリーダーで全てできることではなく、コンプライアンス、ファイナンス、ガバナンス、チケッティング、マーケティングなどそれぞれ得意な分野が異なった人たちのグループで手掛けるべきです。最も手っ取り早いのは、何億円かでグループごと日本に配置することですが、さすがにそんな資金はかけられません。だから、米国でコンサルティング・グループを作って、そのグループの指示の下で大学スポーツ、ひいては大学全体のアクティベーションを進めることも検討しています。本来は、政府や官庁が取り組めばいいと思うのですが…。ドームが使命感をもって、スポーツを通じた大学改革のモデルを作ります

 米国では、大学スポーツのレベルが高く、NBAやNFLのようなプロスポーツですぐに活躍できる水準の選手がいます。一方で、アマチュアリズムで学生選手への報酬を制限しながら、それを商品にして巨額の収益を生み出しているという批判を浴びています。いわゆる「オバンノン訴訟」のように学生選手らが肖像権などの報酬を求める裁判も起きているほどです。しかも、原告の学生側が勝訴しています。

 学生側の主張はもっともだと思う一方で、個人的には大学スポーツは教育の一環なので報酬はなくてもいいとも思っています。お金が必要ならば、大学を辞めてでもプロに行けばいいと考えるからです。

 大学スポーツの選手は、大学を代表してプレーしていますが、大学はあくまでアカデミックの場です。「俺は、どうしてもこの腕一本で、スポーツでカネを稼ぎたい」ということならば、プロの道を選べばいい。プロに行くなと言っているわけではないのですから。実際、大学を辞めてプロに進む人もいます。大学は教育機関ですし、スポーツこそ教育の中心的な存在だと思うのです。この点においても、日本の現状は不明瞭な会計処理やマネジメントでチームを運営している監督、コーチ、OBが幅を利かせている環境であり、何も学べないでしょう。
 
 バスケットボール、野球、サッカー…競技は何でもいいのですが、スポーツを通じて学んでほしい。自分自身、アメリカンフットボールをやっていなかったことを想像するとぞっとします。机上の勉強は重要ですが、それと同じくらいグラウンドで多くのことを学びました。学生には部活という究極の自己研さんの場で理念に向かって切磋琢磨し続けてほしい。スポーツを通して学んで人間として大きくなる。スポーツは教育そのものであり、部活動は大学の正規の教育プログラムとすべきなのです。