図1 登壇する紺野氏
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図2  Wiiに3Dディスプレイを取り付けた試作品
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図3 ヌンチャクコントローラに取り付けた3Dボリュームの試作品
図3 ヌンチャクコントローラに取り付けた3Dボリュームの試作品
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図4 スライドパッドのユニットと,十字キーのユニットをブロックのように入れ替えて配置を調整できる試作システム
図4 スライドパッドのユニットと,十字キーのユニットをブロックのように入れ替えて配置を調整できる試作システム
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 米国時間の3月2日午前に開催された任天堂代表取締役社長の岩田聡氏による基調講演につづき,同日午後には同社の新携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」の開発を主導した紺野秀樹氏が3DSの開発秘話などを語った(図1)。3DS発売直後とあって,紺野氏の講演に注目が集まっており,会場1時間前から入場するための参加者の列ができていた。

 紺野氏によれば,「3DSをもっと外に持ち歩いて遊んで欲しい」との考えから,専用ゲームソフトがなくても遊べるように,あらかじめ3DSにインストールしておくゲームの種類を増やしたり,無線通信機能を強化したりした。

 中でも重要視していたのが無線通信機能の強化。立体視の導入よりも先に検討を開始したようだ。3DSで取り入れた無線通信機能が,街中や電車の中で,他のニンテンドー3DSを探して自動的に通信する「Street Pass」や,無線LANスポットで自動的に通信を開始し,コンテンツなどをダウンロードする「Spot Pass」である。

 Street Passは,3DSユーザー同士が近距離にいる必要があるので,日本に比べて自動車移動が多く,人口密度が小さいという利用上の課題が米国にはあるとの指摘がある。これに対し紺野氏は,「交通手段や人口密度など,確かに日本と環境が異なるが,ショッピング・モールやレストランなど,3DSユーザーが近づくチャンスはある」との見解を示した。

 また,Spot Passについては,米AT&T社との協力で,米国に無料のホットスポットを1万箇所以上設置するとした。Spot Passでは,特定のゲームを遊んでいるユーザーだけにコンテンツを提供したり,自動的にコンテンツをダウンロードしたりできるという。ユーザーの能動的な動きではなく,受動的にコンテンツを配信することで,ユーザーの負担を軽減する狙いがある。

Wiiを使った試作機で社内アピール


 講演では,これまで明かされなかった3DS開発の経緯の一端に触れた。紺野氏が3DS開発を進める上で念頭に置いたのは,「Playing is Believing」というコンセプトである。これは,「Seeing is Believing(百聞は一見にしかず)」をベースにした造語である。言い換えれば,開発チームが導入したいと思った新技術について話だけするのではなく,実際に試作品を作ってほかの人に体験してその良さを理解してもらう,ということだ。つまり,新技術の体験を通じて,その技術の良し悪しを判断してもらう。紺野氏によれば,Wiiの時代から任天堂として掲げてきたコンセプトだったという。これを3DS開発でも実践した。「Playing is Believing」は「人の心をつかむ道具」(紺野氏)とし,その重要性を説いた。

 例えば,裸眼3Dディスプレイの導入には,立体視のリアルさを理解してもらうために,Wiiに3Dディスプレイを取り付けた試作品を作った(図2)。特に,バーチャルボーイといった立体視対応ゲーム機での「苦い経験」(紺野氏)がある任天堂だけに身構える社員もおり,立体視への社内の反応は必ずも良くなかったという。そこで数週間をかけて試作システムや対応ゲームを作り,立体視ゲームを体験してもらうことで,紺野氏らは立体視の良さを説明していった。紺野氏は試作システムを台車に置いて,社内中をかけまわったという。こうしたデモの結果,デモを見た人々の心をつかんだと確信した紺野氏らは,「これ(立体視)で勝負しようと思った」(同氏)という。

 立体視の見え方(3D映像の強弱)を調整する「3Dボリューム」も,現在のバーをスライドさせる方式に至るまで試行錯誤を繰り返したという。調整向けに「+」「-」ボタンをつける案をはじめ,さまざまな案が浮上し,なかなか決まらなかった。そこで,現在のようなボリューム・バーをWiiの「ヌンチャク」コントローラに取り付けて,立体視の効果を自由に調整できるようにしてみたところ,試した人の反応がよく,「これで立体視の個人差を解決できると思った」(紺野氏)という(図3)。

 アナログ入力可能な「スライドパッド」と十字キーの配置も,操作性が最も良い位置などを模索した。その配置をいろいろと試せるように,ハードウエアの開発チームがスライドパッドのユニットと十字キーのユニットを作り,あたかもブロックのように入れ替えて,配置を調整できる試作システムを作製した(図4)。従来のDSを改造し,これらのユニットを組み替えられるようにしたという。

 また,紺野氏の上司で,ゲーム・クリエーターとしても著名な宮本茂氏のこだわりが「大爆発した」(紺野氏)のが,ジャイロ・センサの導入である。3DSを初めて公式に披露する2010年6月のE3の直前(同年3月ごろ)に,「3DSのハードウエアの仕様がほぼ固まっていた」(紺野氏)にもかかわらず,宮本氏の強い推薦で急遽ジャイロ・センサの導入が決まったという。