日本人には分かるまい
日経エレクトロニクス2006年9月11日号,PP.131-133から転載。所属,肩書き,企業名は当時のものです。

 「住所で検索するなら,ここに住所を入れてください」

 「……」

 「どうして分からないんですか?」

 「ミスター宍戸,この装置は使いにくいよ」

 「どこが使いにくいんですか」

 「……。結局,日本人には分からないんだよ」

 日本のカーナビのHMIをそのまま英語化して米国人に操作してもらうと,途中で操作方法が分からなくなるのだ。現地の幹部からは「使いにくい」「米国人のことが分かっていない」と言われてしまう。「どうすればいいのか」と聞き返しても具体的な回答はなく,「日本人には分からない」の一点張りだった。結局,米国向けのHMIは日本での開発をあきらめ,現地の開発拠点であるHonda R&D Americas (HRA)社にいる技術者3人に任せる。

 日本人は画面の中に複数の選択肢があっても大丈夫だが,米国では一つの画面で一つのことしか操作させないようにする。例えば,住所検索を選んだら,次の階層に州を,州の次は町名を,町名の次はストリート名を入れるというように,とにかく階層が多くなってもいいから分かりやすくすることに決める。

 走行中の画面表示の在り方も議論となっていた。当時,欧米では画面に矢印だけを示す「ターン・バイ・ターン」方式のカーナビが登場しており,日本のカーナビのように地図を映すのではなく,ターン・バイ・ターン方式でなければ受け入れられないのではないかといわれていた。

 宍戸らもターン・バイ・ターン方式の採用に傾き始めていた中,現地のAmerican Honda Motor社の副社長に試乗してもらう機会が訪れる。ターン・バイ・ターン表示を見た副社長は「もしロサンゼルスからラスベガスまでドライブしたら,I-15を走っている間は何時間も一本の矢印が出ているだけじゃないか」と指摘する。

 そこで,地図表示に切り替えて見てもらったところ,「この地図が大事なんじゃないか。矢印だけでは価値がない」と言われてしまう。目的地を入れていないときでも「地図が自分の位置に合わせてきちんと動くのがとても不思議だ」と言うのだ。こうして米国向けカーナビでは,地図表示とターン・バイ・ターン表示の切り替えができるようにすることに決める。

更新可能なHDDを採用

 1995年2月,試作システムでの評価が完了し,1996年4月に発売予定の「Acura RL(日本名:レジェンド)」に搭載するカーナビとして量産することが決まる。ここで,「地図を収録する記録媒体をどうするか」という問題が持ち上がる。当時は米国の地図の整備状況が悪く,米国東側はまだ整備されていなかった。西側もロサンゼルスなどの都市部のみという状況だった。ただし,地図データを提供していた米Navigation Technologies社(現Navteq社)では今後,四半期ごとにどんどん地図データを整備する計画をきちんと立てていた。このため,記録媒体にCD-ROMを使ってしまうと,次々と整備される地区の地図を更新できなくなる。

 そこで,記録媒体としてHDDに白羽の矢を立てる。HDDは書き換えが簡単な上,地図などのデータの読み出しがCD-ROMに比べて約10倍速かった。米国では日本に比べて高速で走行するため,データをより早く読み出す必要があった。