かつては「嫁入り道具の一つ」と言われ,すでに多くの家庭に普及しているミシン。そのミシンに国内で初めてマイコン搭載機が登場したのは,1979年のことだ。ブラザー工業の「オーパス8」である。足踏み式から電子式への移行初期であった当時に,早くもマイコン搭載に踏み切った理由はなんだったのか。当時入社数年目で開発に携わった同社の大島伸康氏(現:執行役員知的財産部長)と,菅谷京男氏(現:プリンティング・アンド・ソリューションズカンパニー購買部原価グループチーム・マネジャー)に,開発当時の背景や経緯などを聞いた。
――マイコンを搭載したことによって実現した「オーパス8」の機能には,どのようなものがあったのでしょうか(図1)。
菅谷氏 一つは多彩な模様縫いや飾り縫いを,より簡単に実現したことです。さまざまな縫い目や星型のような模様を,ボタン一つで切り替えることで縫えるようにしたことが特徴でした。
オーパス8以前の電子式ミシンでも,模様を自動的に縫う機能はありましたが,ミシン本体に差し込んだ円盤型のカムを使う機械的なものでした。カムの周囲に彫られた溝で針の動きを機械的に制御するため,模様ごとにカムを差し替えなくてはなりません。また差し込んだときの溝の位置で縫い始めが決まるため,例えば星型のマークを縫おうとして星の中心部に針をセットしたつもりが,実際に縫い始めるとそこは星の先端になってしまい,でき上がりの位置がずれてしまうようなこともありました。
マイコンを搭載したオーパス8では,25種類の模様を縫うための針の動きをプログラムとして記憶しており,カムの差し替えなどを行うことなく,ボタンで縫い方を簡単に変えることを可能にしました。
模様を切り替える際には,針は上に上がっていないといけないのですが,オーパス8では停止時に常に針が上に来るようにしたことも,マイコンがもたらした機能です。ボタン穴かがりも,それまでは四辺ごとにいったん針を止める必要があったものを,マイコンで一気に縫えるようになりました。
実は当時,マイコンで多彩な模様縫いを実現したミシンは,すでに海外にはありました。つまり私たちの製品は後追いではあったのですが,単なる後追いではおもしろくありません。マイコンを模様縫い以外にも活用できないか考えた結果,実現したのが「使いやすさと安全性の向上」でした。
針にかかる力をもとに電流をコントロール
――具体的にはどのようなものだったのでしょうか。
大島氏 まず一つは,針の動きをフィードバックする機構です。例えば薄い布と厚い布では,針を通すのに必要な力が違います。そのため薄いところから厚いところへ針が進んだ際,急に針のスピードが遅くなってしまいます。
執行役員
大島 伸康 氏
そこでオーパス8では,針を動かすモーターの軸の延長線上にエンコーダをつけて,針の動きを検知するようにしました。針の動きが遅くなったことを検知するとモーターに供給する電流を増やすなど,針を通す力を自動的にコントロールするようにしたのです。布の厚さの変化に関係なく一定のスピードで縫い進められるため,お客様は安心して作業を継続することができます。
しかし極端に厚い布などの場合は,力を上げすぎると,今度は針が折れてしまうことがあります。そこで針が1秒間動かないときは,針が折れる予兆ととらえて,自動的に電流をカットする機構も備えました。これは安全性の向上と言えます。
電源コンセントを入れただけでは動作しないようにしたことも,マイコンによる安全性向上の一つです。それまでの電子ミシンは本体のスイッチが機械的なもののため,スイッチがオンの状態でコンセントを入れるとミシンは動き出してしまい,危険なこともありました。
しかしオーパス8では,コンセントだけで動き始めることはせず,常に手元のスイッチで動作を開始するようにしました。スイッチをユーザーの手元に近いところに配置できたことや,緊急停止用に動作中はどのボタンを押しても停止する機能を実現できたのも,マイコンのおかげです。
――搭載するマイコンを選択する際のポイントは何でしたか。
菅谷氏 一つは,モーター制御や縫うパターンなど,多くの入出力に対応できるようにピン数が多いこと。モーターや操作パネルの制御で大きな電流が流れることがあるため,1チップで大電流に耐えられることもポイントでした。さらに処理速度も重視しました。ミシンの針は最大で1分間900回往復し,その1回ごとに針,モーターの回転数,布の送りの3つを,フィードバックしながらコントロールしなくてはなりません。しかし当時のマイコンは,そうした高速処理に耐えられるものはありませんでした。
そこで結局カスタムで作ってもらうことにしたのです。入出力系の多い電子レンジ用のマイコンをベースに,マイコン・メーカーに4ビット60ピンのマイコンを開発してもらい,オーパス8に搭載しました(図2)。
プログラミングも大変でした。ミシンは比較的最近までACモーターを使っていました。厚い布など針に力が必要な場合に,ACに比べてDCを使うと大電流を流すことになるため,当時は大きなトランスが必要となり,ミシンの筐体が大きく重くなってしまうからです。ところが,ACモーターをマイコンで制御しようとすると,波形にあわせてミリ秒単位でフィードバックと演算,そして制御を繰り返さなくてはなりません。制御の精度を高めるために,マイコンのタイマー機能を駆使し,処理時間を厳密に管理しながらプログラミングしなければなりませんでした。かなり大変な作業だったことを記憶しています。
1.4倍高くても売れる
――当時はミシンが足踏み方式から電気駆動方式に変わり始めたころで,そこにさらにマイコンで付加価値を付けることは,大きな決断だったかと想像します。マイコンはカスタム品で,プログラミングも大変となると,どうしてもコストが上がってします。商品が高額になって消費者に受け入れられるないのではないかという心配はありませんでしたか。
大島氏 確かに当時の足踏み式ミシンが約10万円,普通の電子式ミシンが最高機種でも約13万円だったのに対し,マイコン搭載のオーパス8は18万3000円でした。足踏み式ミシンに比べて電子式ミシンが高価に感じられていた当時に,さらに1.4倍も高い機種だったのです。
しかし実際に発売すると,使いやすさなどが市場で評価されて販売は好調でした。それだけでなく,マイコンを搭載しない電子式ミシンまでもが売れ始めたのです。マイコン搭載機種に比べて相対的に安価だったことから,多くの消費者が改めて注目したのではないかと思います。
実はミシンの国内市場は,まだ足踏み式しかない1969年から頭打ちになっていました。そこで当社をはじめミシン・メーカー各社が発売したのが,テーブルの上でも使える電子式ミシンだったのです。マイコンを搭載したオーパス8は,その電子式ミシン市場全体の活性化をもたらしたわけです。
――オーパス8の後,ミシンはマイコンでどのように発展して行ったのでしょうか。
菅谷氏 ミシンは当時,4年ごとに新製品を投入していました。オーパス8の4年後の1983年には,模様縫いに,文字や動物などの複雑なデザインのパターンを縫う機能が加わりました。このほか,テーブルクロスなどを作る際に便利な40mm幅の飾り縫いの機能を備えました。使いやすさを,さらに推し進めるべく,音声ガイダンスの機能を実現したのもこの時です。
プリンティング・アンド・ソリューションズ カンパニー
購買部 原価グループ
チーム・マネージャ
菅谷 京男 氏
1987年には,布のふちから一定の幅のところを直線的に縫う場合に,同じ幅を維持する機能を搭載しました。光学センサーを搭載して布のふちを検知し,一定の幅を保つように針の位置を自動的に補正していくものです。
大島氏 また最近の電子式ミシンでは一般的になった「自動糸調子」の機能を実現したのも,1987年でした。自動糸調子は針が1回往復するごとに,布の厚さと布を送るスピードから必要な糸の量を計算して,繰り出す糸の量を調整していくものです。これいよって縫い目を美しく仕上げることができます。この機能も,マイコンがなくては実現できませんでした。
現在,ブラザー工業が国内向けに出荷しているミシンは,すべてマイコンを搭載しています。タッチパネルを使った模様の編集,刺しゅう,パソコンとの連携など,いずれの機種もオーパス8のころに比べると機能が増えました。その一方で,使いやすさを追求した電源スイッチの配置など,オーパス8で初めて採用し,そのまま引き継がれている特徴も数多く備えています。マイコンを搭載したオーパス8は,現在のミシンの土台を作り上げたと言えるかもしれません。