二上 貴夫 氏

東陽テクニカ
ソフトウェア・システム研究部技術主幹
東海大学専門職大学院
組込み技術研究科教授
二上 貴夫 氏

 専門職大学院の開設やマイコン搭載システムを題材にしたコンテストの開催など,組み込み技術者育成に向けた様々な取り組みが日本国内で進んでいる。この多くを支えているのは,日本の組み込み業界の現状に危機感を抱いた学術関係者や業界の有志たちだ。その中の一人で,組み込み技術者育成に向けた様々な活動に積極的に参画している東陽テクニカ ソフトウェア・システム研究部主幹の二上貴夫氏に,その動機や同氏が描く日本の組み込み技術者の将来像などについて聞いた。

--組み込み技術者の育成を目的にした様々な活動にかかわっておられます。

二上貴夫氏(以下,二上氏 深くかかわっている活動は,大きく四つあります。一つは,財団法人組み込みシステム技術協会が主催する「ETソフトウェアデザインロボットコンテスト(ETロボコン)」です。マイコンのプログラムにしたがって自走するロボットで,決められたコースを走る時間を競い合うものです。二つ目は,私が発起人となって始まったマイコン制御システムを搭載した模型ロケットを打ち上げるプロジェクト「Hamana」。三つ目は,情報処理学会が主催する組込みシステムシンポジウム(ESS)の特別企画として開催している「MDDロボットチャレンジ」。小型の飛行船をマイコンで制御して,決められたルートを使って着地点を狙う競技です。四つ目は,「組込みソフトウエア管理者・技術者育成研究会」(SESSAME:Society of Embedded Software Skill Acquisition for Managers and Engineers)の活動の一環として組み込み技術者教育のための教材を作っています。

--このほかに社員としての業務も抱えているわけですね。

二上氏 もちろんです。組み込み技術者の教育活動や,ソフトウエア開発手法の啓蒙活動が会社から与えられた主なミッションです。お客様の製品開発プロジェクトのお手伝いをすることもあります。

ソフトウエア開発技術が重要に

--ここ数年,組み込み技術者を育成しようという機運が盛り上がっています。

二上氏 そうですね。ちょうど2000年ころから目立ってきました。SESAMEやTOPPERS(Toyohashi OPen Platform for Embedded Real-time Systems)プロジェクトなど組み込み技術者の育成を目的にした団体が活動を始めたのも,このころです。ETロボコンの第1回目は2001年。MDDロボットチャレンジは2004年から始まっています。

 80年代から応用が広がり始めた組み込みシステムのソフトウエアは年々規模が大きくなり,90年代に入ると,すでに技術者の労力だけに頼る従来の手法では,ソフトウエアを開発することが難しくなってきました。このころには,問題を解決するための様々なソフトウエア開発技術が確立されており,これに基づくソフトウエア開発支援ツールも市場に出ています。ところが,日本ではこうした技術やソフトウエア開発支援ツールを使いこなせる組み込み技術者がそれほど多くありませんでした。このまま大規模化が進むと,組み込みソフトウエアの開発がままならなくなるという危機感が,学術関係者や技術者の間で高まってきました。こうした思いをつのらせた方々が実際に動きはじめたのが,ちょうど2000年ころだったのでしょう。

--ソフトウエア開発支援ツールの導入が日本で立ち後れたのは何故ですか。

二上氏  ソフトウエア開発支援ツールや,これの基本となったソフトウエア開発技術を学べる機会が日本に少なかったことが大きいのではないでしょうか。組み込み開発で先行した航空宇宙分野が盛んな米国では,1980年代から大規模システムの組み込みソフトウエアを手掛け,同じ問題に直面しています。この対策を検討する中で,「リアルタイム構造化分析」などのソフトウエア開発技術が生まれていました。

 ところが,日本で組み込みソフトウエアの大規模化が問題になりはじめた90年代には,もはやこうした分野に目を向ける大学は日本にはあまりありませんでした。最先端のソフトウエア工学を追求する研究者には,あまり魅力的なテーマではなかったのかもしれません。一方,常に技術の変化に追随しなければならない企業にも,既存の技術に目を向ける余裕がなかったのだと思います。この結果,自主的に本を入手して勉強を始める技術者はいましたが,開発手法を基本から見直そうという機運は企業の間では,なかなか盛り上がらなかったようです。

 特にソフトウエア開発支援ツールを使いこなすためには,ある思考法を身に付ける必要があります。そのためには,何らかのトレーニングが必要です。いま様々な人材育成のプロジェクトにかかわっている理由の一つは,このトレーニングの場を作りたいと思ったことです。

イベントを通じて技術を底上げ

--現在かかわっておられる人材育成に向けた活動で重視しているポイントを教えて下さい。

初代のマイコンジャー

二上氏  「ETロボコン」にかかわった私自身の目的は,より多くの技術者の方に効率的な組み込み開発手法を教える場を作りたいと思ったからです。かつては自分が抱える顧客を対象にした教育活動に取り組んでいました。ところが,これでは伝えたいことがなかなか広がりません。業界全体の技術の底上げを図るために,より多くの人に技術を伝え,その技術を受け取った人が,別の人に教えるといった状況を作りたかったのです。1回目のETロボコンに参加したのは80人程度でした。最近では700人~800人に増えています。まだ十分な成果が出ているとはいえませんが,着実に前進していることは確かです。

 「hamana」プロジェクトでは,ネットワークを介して複数の技術者が連携しながら一つのソフトウエアを開発する「分散開発」の手法を取り入れています。打ち上げるロケットにはGPS(global positioning system)を使った測定システムを搭載しており,開発するのは主にこのシステムのためのソフトウエアです。この活動を通じて,分散開発の有用性を参加者に実感してもらいたいと思っています。90年代に入ってインターネットが普及しはじめたころから,海外では分散開発の導入に向けた取り組みがいち早く始まりました。ところが日本の開発現場は,この分野で遅れをとっているのが現状です。分散開発が可能になると,技術者の負荷を軽減できるものと期待しています。また,このプロジェクトでは,組込みスキル標準「ETSS(Embedded Technology Skill Standards)」を導入して,参加メンバーのスキルの到達度を評価しています。これによって,ETSSの妥当性も併せて検証する考えです。

 小型飛行船を飛ばす「MDDロボットチャレンジ」では,合理的な手法に基づいて効率的に組み込みソフトウエアを開発する手法の効果を参加者の皆さんに実感していただくことを狙っています。これによって技術者の労力に頼らざるを得ない組み込みソフトウエア開発の現状を変えたいと思っています。このプロジェクトのもう一つポイントは,一つのシステムが動く仕組みを解明する楽しみを体験できることです。このプロジェクトに使う飛行船は,設計する際に,内部を分解して調べられるようにしました。参加メンバーの中心となっている社会人や大学生だけでなく,中学生や高校生にも,分解しながら動く仕組みを解明する楽しさを味わってもらいたいからです。

新しい発想をかたちに

--いま問題になっている組み込みソフトウエア技術者の不足は解消するのでしょうか。

二上氏  学術関係者や業界有志の様々な活動に加えて,日本経済団体連合会の提案をうけるかたちで大学が組込み技術者の育成に乗り出すなど,組み込み技術者の育成する体制は整いつつあります。こうした活動を継続していけば,組み込み技術者の数の問題は,やがて解決するでしょう。  私をはじめ,いま人材育成にかかわっている多くの方々は,単に組み込み技術者の数を増やすだけでなく, 従来の技術者とは一線を画する,“ハッピーな組み込み技術者”が増えて欲しいと思っています。ここでいう“ハッピー”とは,斬新な発想で新しい製品や市場を生み出す技術者になることです。例えば,いまや私たちの生活シーンの中には,無数のマイコンが存在しています。ところが,その中でフル回転している,マイコンは極めて少ないでしょう。ほとんどがアイドル状態です。もし,こうした多くの「眠っているマイコン」を生かすアイデアを持ち,それを実現する組み込み技術者が出てきたら,たいへんなことが起きるのではないでしょうか。