国立情報学研究所(NII)は,分子間の引力,反発力を仮想的に体感できる教材「HaptiChem(ハプティケム)」を開発した。2007年3月15日にHaptiChemを使った模擬授業を報道陣に披露するとともに,分子間力をシミュレートするソフトウエアをフリーソフトとして公開した。ハードウエアとしてはパソコンと,それにつないで使う力覚デバイス「SPIDAR-G」を用いる。なお,「haptic」は「触覚の」という形容詞である。

 模擬授業の舞台となったのは,東京都港区の東京工業大学附属科学技術高等学校。同校の1年生,12人が参加した。模擬授業は,分子と分子の間で働く力について同校 教諭の成田彰氏と森安勝氏が生徒への問い掛けを織り交ぜながら解説したのち,いよいよHaptiChemを生徒たちが使ってみるという展開だった。

3次元力覚デバイスとオープンソース・ソフトで開発

 SPIDAR-Gの球体は,1原子分子であるAr(アルゴン)原子であるという想定。パソコン画面上で,そのAr原子をもう1つのAr原子に近づけるように球体を動かしていくと,最初は引っ張られるような感じが伝わってくる。しかし,ある程度接近させるとクッションに当たったような抵抗感を感じる。つまり,最初は分子間の引力,やがて反発力(斥力)が働いていることを感じ取れるようになっているのだ。Ar原子間のファンデルワールス力のモデルのグラフもパソコンに表示され,手の感覚と理論を結びつけている。

 今回,模擬授業に参加した12人は,以前から化学に興味を抱いていた生徒たちというだけあって,HaptiChemには興味津々。球体を動かしていくと突然抵抗を感じて歓声を上げる生徒もいれば,黙々とグラフの変化と手の感触を確かめている生徒もいた。中には冗談半分に「一家に1台欲しい」という生徒も…。

 HaptiChemの仕組みはこうだ。WindowsパソコンにUSBでモータ制御回路を接続,その回路がSPIDAR-G本体につながっている。SPIDAR-Gは東京工業大学 精密工学研究所の佐藤・小池研究室が開発した力覚デバイスで,立方体の8つの頂点に相当する場所から8本の糸が伸びて,操作部となる球体につながってそれを支えている。それぞれの糸にはモータが付いていて,ユーザーが球体を手で動かしたことを認識するとともに,糸の張力を制御することでユーザーに引力や反発力を感じさせるようにしている。

 ソフトウエア側では,オープンソース・ソフトウエアを活用した。基盤となるのはオープンソースの3次元マルチメディア・ライブラリの「じゅん」(SRAのじゅんのサイト)。これを基にNII 情報学プリンシプル研究系 助教授の佐藤寛子氏が開発したのが,化学用グラフィックス・ライブラリ「ケモじゅん」である。ケモじゅんは2005年12月26日からオープンソースとして無償公開されている(ケモじゅんのサイト)。この2つの国産ライブラリを用いて,分子間力体感システムのGUIを開発した。

触ることの重要さ

 佐藤氏は「目に見えない対象を扱う化学の教育・研究ではモデルが重要。今回,見るだけでなく,触って分子の力を感じられる新しい教材ができた。ただ,いろいろなところで“小さなウソ”をつかないと教材化は難しい。このモデルは本当なんだろうかと生徒が考えることも重要だ」という。今後は「実際の研究に使えるシステムを開発したい。そのために今回もっともプリミティブな希ガスでのシンプルなモデルで教材化した。モデルを複雑にすると,リアルタイム動作のため計算が大変になるが,今後取り組んでいきたい」。

 模擬授業を担当した成田氏は「知識の定着を図るのにすごくいい教材」と高く評価する。ただし,課題もあるようだ。「2006年7月の2年生向け授業でもHaptiChemを使ってみたのだが,43人の生徒がいて,一人ずつ操作しているとすごく時間がかかってしまった。今回のように10人くらいでやれるといいのだが…」。高額な装置を使った体験ならではの制約といえる。

 実験校となった東京工業大学附属科学技術高等学校の校長である市村禎二郎氏は,もともと物質化学が専門。「目には見えないナノの世界を体感できると,一生忘れないはず。HaptiChemだけでなく,生徒にはできるだけ直接体験させたい。こうした体験の場を設けることで,一人でもノーベル賞受賞者が出ればいい。理工系離れの歯止めにもつながるのではないか」と体験型教育への期待を語った。

 HaptiChemのソフトはHaptiChemのサイトから無償でダウンロードできる。SPIDAR-Gは市販されているが高額なので,日本国内の高等学校での教育目的に限り,期間限定で無償貸し出すという。その詳細も上記サイトで説明されている。

【訂正】記事掲載当初,HaptiChemは「オープンソース」と記載しましたが,正しくは「フリーソフト」でした。お詫びして訂正いたします。記事本文は修正済みです。

動画 HaptiChemの公開模擬授業
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