松下電器産業は2006年2月24日,同年6月28日付の社長交代人事に関する会見を都内で開き(Tech-On!の関連記事),同日付で社長に就任する大坪文雄氏(現・専務)が所信を表明した。同氏は,自らと現・社長の中村邦夫氏との比較で「(中村氏に)かなわないところは多いが,その分は社内の衆知を集めることで補っていきたい」と語っており,周囲の意見を重視する経営スタイルを採るようだ。

 「邦」の字は「」が正しい。


握手する新・社長の大坪氏(右)と現・社長の中村氏。中村氏は代表権のある会長に就任する。

 大坪氏は,「技術立社」を実現する上での技術開発の方向性として,既存技術改善と未踏技術確立の両輪が重要であると発言。「ブラウン管テレビから薄型テレビへの転換といった,大きな技術の変遷は数10年に1回のこと。あくまで,今ある技術の改善が商品力強化や業績に貢献するのであり,改善を積み重ねることが大切だ。とはいえ,それだけでは次の大きな事業が生まれないのも事実。全社として,10年,20年先を見据えて取り組んでいきたい」(同氏)とした。

石油温風機は「最後の1台まで探し出す」

 大坪氏の所信表明に先立ち,会見の冒頭で中村氏は,同社の強制給排気(FF)式石油温風機による一酸化中毒事故が相次いで発生したことに言及。亡くなった方に哀悼の意を表すとともに,事故に遭った方や遺族,関係者に謝罪した。

 一連の事故を受けて設置した緊急対策本部は,2006年5月の連休明けを目処に,常設の対策本部に移行する。「春夏秋冬でそれぞれ適切な対策を執る」(同氏)ための措置。「事故を決して風化させることなく,何年かかろうとも最後の1台まで探し出す」(同氏)ことを誓った。

 なお,この件に関する経営陣の責任は「先日発表した社内処分でけじめはついた」(同氏)としており,今回の社長交代人事が引責辞任ではないことを主張している。

 以下,会見場での質疑応答の様子。

——一連の改革で,最も厳しい決断をしたのと,手応えを感じたのはそれぞれいつか?

中村氏:最も厳しかったのは,松下電器産業の中で“聖域”と呼ばれていた国内の家電流通の改革に踏み切ったとき。良くなる兆しが見えたのは,松下電工の子会社化が決まったとき。

——多くの電機メーカーが苦しむ中,なぜ松下電器産業は改革できたのか?

中村氏:創業者の経営理念が末端の従業員まで根付いていたことが原動力となった。2001年度の大赤字で,従業員の中に「このままでは松下は潰れる」という危機感が芽生えた。

——(大坪氏に対して)中村氏の経営手法で採り入れたいもの,採り入れたいけど簡単にはまねできないものと,中村氏にはなくて自分にはあるものをそれぞれ教えて欲しい。

大坪氏:採り入れたいのは,従業員に対して公明・公平・公正であること。それから常に戦うという姿勢,シナリオ性のあるマネジメントは見習いたい。まねできないのは大局観に基づく判断。これに関しては,社内の衆知を集めることが極めて重要だと認識している。(中村氏と比べて)優れていることがあるとは思えないが,強いて自分の強みをいえば,生産をはじめ設計や品質管理などの「現場経験」があること。これを活用していきたい。

——「中村改革」の中で創業者とはどのような存在であったのか? また,大坪氏は創業者の経営理念を自身の経営にどのような活かしていくつもりか?

中村氏:松下電器産業には,創業者の存在がまだクリアに残っており,決断を迫れるたびに「創業者であればどうするか」を常に考えてきた。創業者の経営理念の中では,個人的に「日に新た」が好きで,勇気を持って改革ができたと思っている。

大坪氏:周囲の環境が変化していく中で,見失ってはいけないのが創業者の経営理念だと思っている。個人的に日ごろから意識しているのが「衆知を集めた全員経営」で,これからも大切にしていきたいと考えている。

——日本製造業の改革はまだこれからのように見えるが,これに対して松下電器産業はどのように振る舞っていくのか?

中村氏:現状の価格競争から脱し,本当の意味で競争するのはこれからだと思っている。松下電器産業は他社にない製品を市場に提供し,同質競争から抜け出すことを目指してきた。最近では,その効果が少し出てきたと感じている。「選択と集中」をもっと進めていかなければならないだろう。

——日本のものづくりは復活したのか?

中村氏:電機に限っていえば,復活したと確信している。他国にない技術を使って,日本で生産するという体制を確立できるようになった。