大滝令嗣氏。静岡県出身。東北大学 工学部 応用物理学科を卒業後,米University of California San Diego(UCSD)の電子工学科 博士課程に進み修了。東芝に入社して2年後に,米系コンサルティング会社に転職。1988年にマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングに取締役として入社,2000年に代表取締役会長およびアジア代表に就任した。シンガポール経済開発庁の元ボードメンバー。
大滝令嗣氏。静岡県出身。東北大学 工学部 応用物理学科を卒業後,米University of California San Diego(UCSD)の電子工学科 博士課程に進み修了。東芝に入社して2年後に,米系コンサルティング会社に転職。1988年にマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングに取締役として入社,2000年に代表取締役会長およびアジア代表に就任した。シンガポール経済開発庁の元ボードメンバー。
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『理系思考 エンジニアだからできること』 2005年9月21日,ランダムハウス講談社刊。255ページ。定価1600円(税別)。
『理系思考 エンジニアだからできること』 2005年9月21日,ランダムハウス講談社刊。255ページ。定価1600円(税別)。
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 2005年9月21日,ランダムハウス講談社から『理系思考 エンジニアだからできること』という本が出版された。今の日本のエンジニアが置かれている苦しい状況に疑問を感じ,応援すると共に,エンジニアが自ら状況を変えるための提案やアドバイスが書き込まれた本である。

 著者は,元エンジニアで経営・人事コンサルティング会社を経営してきた大滝令嗣氏だ。同氏に,本を出版した経緯などを聞いた。(聞き手=原田 衛)


――初めに,この本を書こうと思い立ったきっかけを教えてください。

 私は今でこそ経営・人事コンサルティングという「文系」の仕事をしていますが,大学は理系で,当初は電機メーカーの研究所にエンジニアとして勤めていたんです。だから,今も「理系」の友人がたくさんいます。

 しかしそうした理系の友だちは,ある程度の年齢になると例外なく自分のキャリアに悩み始める。それまで圧倒的な長時間労働をして会社に貢献してきたのに,なぜか同期入社の文系の人に比べて給料は少なめ。その上,キャリアも見えないなんておかしい。前から感じてはいたのですが,これが今回の本を書こうと思った原点ですね。

――エンジニアとしての行き詰まり感があるということでしょうか。

 最近の大手エレクトロニクス・メーカーのリストラをみてください。苦境に陥るずっと前に,文系の経営者やその取り巻きの人たちが新たな方向性を打ち出し,エンジニアたちが「なんだそりゃ」と思いつつ額に汗している間に会社の調子が悪くなっていく。そんなケースが多い。それでもどうにかしようと頑張っているのに,リストラに入ると,真っ先にターゲットにされるのはエンジニア,なんてことが現実に起きている。

 メーカーの経営者の中には,エンジニアを馬鹿にしたような発言をする人までいます。「技術のことしか分からんから使い回しがきかない」「まったく専門バカで困るんだよ」といった具合です。これは悔しいじゃないですか。エンジニアがやる気を起こして勉強すれば,経営知識なんて,すっと理解できるはずなんです。

もっと「明るく稼ごう!」

 仕事でしょっちゅうシンガポールやインドといった海外に行くのですが,外にいて日本を見ると,あらためて日本の強さは技術力にあるというのがよく分かります。確かに「とにかく安いものを造る」という点では,中国とかインドなどにお株を奪われつつあるのかもしれませんが,まだまだ先端的な技術をいっぱい生み出している。それなのに,その根幹を支えている技術者が大いに不満を持っている。これでは話にならない。

――強さの源泉である日本のエンジニアに元気がないと。

 アジアの技術者は元気ですよ。私はいつもその元気のおすそ分けをもらっているわけですが。なぜあんなに元気なんだろうなぁ。「明るく儲けたい」という気合いが入っているというか。

 エンジニアで成功した人の共通項は「製品や顧客に対する強い思い入れ」と「稼ぎたい!」という気持ちのバランスが取れていることですね。アジア圏を中心にそうした人を何人も見てきたが,例外なくこういうバランスがとれています。どちらに偏っていてもうまくいかない。

――日本のエンジニアは違うわけでしょうか。

 どうも日本の技術者は,まだまだ「儲けることは汚いことで,自分がやることじゃない」と無意識に感じている人が多いのではないか。手を伸ばせば届くのに,批評家に甘んじて手を後ろに組んでいるといった感じがする。

 言い方を変えれば,技術の専門家という居心地のよい城を築いて,あえてそこから出ない。だから,よろしくない経営者などにそれを逆手にとられ,利用されるだけ利用されてしまうのではないか。そうした経営者にしてみれば,城にこもって一生懸命に技術開発だけをしてくれて,文句を言わない人たちがたくさんいてくれたほうが面倒がないわけですから。

 ずっと以前になりますが,私が所属していたメーカーの研究所には,意識の高い先輩研究者がいました。その人はCCD型撮像素子の新方式を考えて,研究所長の前で発表をしました。当時の常識では,研究者は技術だけを語ればよかったのですが,その先輩は,製造時のコスト分析や実用化に向けた方策なども示そうとしたのです。しかし,研究所長は発表をさえぎって「おい,研究者はそんなことまでやらんでいいんだ」と。その先輩はそれ以降,2度とそうした挑戦はしなくなりました。これは以前の話で,今は研究者が実用化まで考えるのは当たり前だとは思いますが,どうも全体的にこうした意識が大手メーカーの一部にまだまだ残っています。

勇気を持って行動に移ってほしい

 とにかく,技術者は「全体図」を見せてもらえないことが多い。「全体は別の担当が見るから,技術者は一部分だけをうまく作りさえすればそれでいいんだ」というような雰囲気がある。

――とはいえ,現実には日々の開発作業も忙しく,なかなか一歩外に踏み出すのは大変ですよね。

 そうですね。みんな生活はあるし,守らなければならないこともたくさんある。けれど,できる人からミニ革命を起こして「周囲の人がはめようとした枠を,技術者は容易に越えられるんだ」ということを経営者に示し,認めてもらわなくては。もしそうした行動に出ても認めないような経営者がいる会社なら,そこを出て自分に合ったルールで動いている組織に入り直したほうがいい。移るのにはエネルギーが要るけど,そのほうが後々,ずっと楽に力を発揮できるから,トータルで見れば移ってよかった,ということになると思います。

――ルールの違うところに移ったといえば,元日亜化学工業で米University of California Santa Barbara(UCSB)校 教授の中村修二さんを思い出します。

 そうですね。中村さんと同じことができるものなら,ほとんどの技術者がやってみたいと思っているでしょうね。しかし実際にはそこまでは行けないこともある。ただ,自信を持って発言し,行動して,それで会社を出ることになっても,ほかで受け入れてくれるレベルの高い技術者が日本には本当にいっぱいいます。本人はそれに気づいていないのかもしれませんが。自信を持って挑戦していただきたいですね。

 いずれにせよ,これから技術者同士の国際的な競争が始まる中で,自分の専門分野だけでなくプラスアルファの部分は必ず持つ必要があります。そうでないと,世界で負けちゃう。プラスアルファの部分は,経営知識でもいいしブランディングの知識でも,デザインでもいい。中国やインドの技術者は猛勉強をして追いついてくるわけですが,そうした人たちよりも1歩も2歩も先にいるために,広い視点を確保してもらいたいのです。

――技術者自身のカイゼンを進めるのも大事ですが,文系の人が持っている理系の人へのイメージも変えたいですね。

 どうも日本の社会で「理系」としてすんなり受け入れられる人のイメージは,ノーベル賞を取った田中耕一さんであって中村さんではないようですね。文系の人が持っているイメージを変えるには,とにかく理系からすごい人をどんどん輩出するしかないでしょう。でも実際には金融工学の分野とか,これまでの分類でいう理系と文系の中間的な領域はどんどん拡大していますから,長い時間がたてばそうした分裂は目立たなくなっていくのかもしれません。

――理系と文系という類型自体が意味を失っていくと。

 そうですね。実はこの本を出すにあたって,私の4人いる子どもに感想を聞いてみたんです。そしたら「理系とか文系とか分けるってこと自体がもう古いんじゃない?」と口をそろえて言われてしまいました(笑)。確かに慶応義塾大学の湘南藤沢キャンパスとか,従来の物差しでは理系か文系か分けられない大学の学部は増えていますし,文系の大学生がコンピュータにのめり込んで凄い専門家になったという話は珍しくなくなっています。ただ,実社会にはまだまだ理系と文系の狭間で問題がたくさん起きているんだよと話して,分かってもらいましたが。