知財を重視しなかった過去について「今では反省しています」と田中耕一氏。
 特許庁は2005年4月18日,東京都内で「発明の日記念シンポジウム」を開催,基調講演に島津製作所フェローの田中耕一氏を迎えた。1885年4月18日に専売特許条例(現在の特許法)が公布されたのを記念して,特許庁では4月18日を「発明の日」として例年,記念行事を開催している。今年は,2002年のノーベル賞受賞時には「特許はあまり重視してこなかった」と発言した田中耕一氏が登場した。

 田中氏は「ソフトレーザ脱離法」でノーベル化学賞を受賞した当時のことを,「『田中は知財を軽視している。ノーベル賞をもらうような技術をなぜ放置していたのか』と呆れられた」と振り返る。田中氏のチームが開発したTOFMS(飛行時間型質量分析)関連技術では,特許を申請したものの成立しなかったものや,成立したものの途中で権利を放棄したものが少なくない。「不成立に関しては特許審査時に十分な説明をする努力を怠ったことが原因。権利放棄は維持費を削減する目的だった」(同氏)という。

 知財管理に熱心でなかった理由について田中氏は,「開発当時,私たちの技術は日本国内では99.99%無視されていた。製品化はしたものの買ってくれたのは米国の企業だけ,売れたのは1台だけだった。私自身も自分の研究開発が大したものだとは思っていなかった。これは私たちだけではないと思うが,日本人,特にエンジニアには独創的なことができないという誤った常識が根付いていた気がする」と話す。

 しかし,「今では逆に,日本のエンジニアには独創的な研究開発を行う下地があると考えている」と田中氏は言う。「たとえば,私たちの研究開発成果は電気や物理,化学,医学・薬学など異なる分野を専門にする研究者のチームワークで得られた。こと,チームワークに関して,日本人は優秀だ。チームワークと仲良しクラブとをはき違えさえしなければ,良い結果を生むはず。異分野間のチームワークから生まれる独創が今後の日本を支えていく」との考えを示した。