東芝の次期社長候補が,執行役専務の西田厚聰(にしだあつとし)氏に決まった(発表資料)。同社は2005年6月下旬に開催する定時株主総会終了後の取締役会で,西田氏を執行役社長に選任する。これに伴い,取締役会長の西室泰三氏は相談役に,執行役社長の岡村正氏は取締役会長にそれぞれ就任する予定である。

 同社は西田氏を執行役社長候補とする案を2005年2月21日に開催した指名委員会で固め,翌2月22日の取締役会で正式決定した。西田氏は,1984年に東芝ヨーロッパ社上級副社長に就任してパソコン事業の立ち上げに携わったほか,1992年からは東芝アメリカ情報システム社社長として,いわゆる「コンパック・ショック」後の米国でのパソコン事業の立て直しに貢献した。その後1995年から1997年までパソコン事業部長を務めるなど「パソコン事業を立ち上げた功績者の1人」(岡村氏)と評価される。

国内のパソコン事業の黒字化にメド

 2004年1月からはPC&ネットワーク社 社長を担当。東芝は2003年度にパソコン事業で220億円の営業損失を計上したが,2004年度には黒字化する見通しが立った。2004年度第3四半期は,パソコン事業の営業損益が前年同期の142億円の損失から84億円の利益となった(Tech-On!の関連記事)。こうした功績が認められた。

 岡村氏は2000年6月に社長に就任し,5年にわたり社長を務めた。同氏は今回社長交代を決めた理由として,構造改革に一定のメドがついたことを挙げる。DRAM事業の悪化などで巨額の損失を計上した2001年度に構造改革の遅れという課題を突きつけられた同社は,DRAM事業の売却およびフラッシュEEPROMへの積極投資,家電や昇降機,情報システムなどの事業の分社化などの構造改革を推進してきたとする。「決して満足できる業績ではなく,予断を許さない状況は続くが,3年連続増益の見通しは立った。21世紀の東芝グループの姿にいたる道筋をつけられた」(岡村氏)とする。

「攻めの経営」への転換をきっかけに

 「2005年は東芝が攻めの経営に転じる時期」(岡村氏)であることも社長交代を決めた理由であるとする。同社は2004年に,映像事業を収益の柱とする目標を掲げた。「家庭や企業だけでなく,医療や教育,行政などを大きく変える映像の事業は,大きなビジネス・チャンスが到来しているといえる。この重要な時期こそ,強烈なリーダーシップを備えた新しいトップをいただくのがふさわしい」(岡村氏)とした。

 西田氏は「1週間前に指名委員会への推薦案を聞いたので,新社長としての具体的な考え方や,今後の方針についてはもう少し時間をもらいたい」としながらも,「まずはこれまでの道筋に沿って,構造改革をスピードアップしたい。赤字の事業もあり,構造改革は終わりではない」とした。「注目されると期待できる商品の投入も予定しているし,キラリと光る東芝らしい商品も出始めている。3つの事業の柱(デジタルプロダクツ,電子デバイス,社会インフラ)について,グローバルでの競争力をさらに高めることに力を注いでいきたい」(西田氏)と決意を語った。

図 東芝 執行役社長の岡村正氏(左)と,2005年6月に執行役社長に就任する執行役専務の西田厚聰氏(右)
図 東芝 執行役社長の岡村正氏(左)と,2005年6月に執行役社長に就任する執行役専務の西田厚聰氏(右)
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