本年度(2002年度)のノーベル化学賞の受賞が決まった島津製作所の田中耕一氏(写真,2002年10月10日付の記事参照)が,同社の東京支社で2002年10月11日午後3時から記者会見を開いた。会見の中で田中氏は,「これからも質量分析の研究開発を進めて,病気の早期発見や新薬の開発など,医療の分野で貢献していきたい」と,強い意欲を表明した。

 また,直前に出席した,内閣総理大臣の小泉純一郎氏が主催した昼食会で,「日本の研究者の業績を,国内でも正当に評価できるようなシステムが必要」とコメントしたことも,明らかにした。さらに田中氏は,「5人の研究チームによる成果に対して,わたしが単独で受賞するという“アンフェア”な状況であることを,しっかりと肝に銘ずるようにしたい」と,同僚への気遣いを見せるなど,人柄の良さがにじみでたコメントも多かった。会見場には約180人にも及ぶ報道陣が詰め掛け,田中氏が入退場する際には祝福の盛大な拍手が沸き起こった。

 田中氏は,大学での専攻が電気工学で,バイオの分野では自らを“非専門家”とする。もちろん,分析装置を開発するには電気工学の知識も必要ではあるが,「畑違いなので失敗もしやすく,それを新しい発見につなげられたのだと思う」と,田中氏は説明する。今後,予想される多方面からのヘッドハンティングについて質問が及ぶと,「コンスタントに“ひらめき”があるわけでなく,そんな当てにならないわたしをスカウトする人はいるのでしょうか」と,田中氏は謙虚に回答した。

 ただし,これからの先端的な科学技術の研究開発においては,従来の分野を越えた融合領域を創成していくことが課題とされている。研究者本人も,そして研究チームとしても,分野を越えた田中氏らの成果は,参考にすべき点が多いだろう。田中氏をスカウトしたいという声も,決して少なくないはずだ。

 田中氏らが開発し,ノーベル化学賞の対象となった「ソフトレーザー脱着法」は,同社では「MALDI(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization=マトリックス支援レーザー脱着イオン化法)」と呼ぶ。分析対象となるタンパク質分子を,混合溶液(マトリックス)に溶かし,さらに直径30nm程度のコバルト微粉末を混入させるのが大きなポイントの一つ。この金属微粉末をマトリックスに混ぜてしまったことを,田中氏は“失敗”としている。

 開発当時,金属微粉末がレーザー光を適度に吸収することが知られており,田中氏の同僚が金属微粉末を使うことを提案していた。ただし,マトリックスに混ぜた事例はなく,混ぜるという発想自体がなかった。混ぜてしまうという“失敗”が,実は大きなブレークスルーとなり,タンパク質分子をイオン化し,自由空間に飛ばすことに成功したというわけだ。そして,タンパク質分子のような生体高分子の質量分析が実現した。

 この技術についての特許を,田中氏らが申請したのが1985年。その後,1987年に兵庫県宝塚市で開かれた第2回日中連合質量分析討論会で研究成果を発表したところ,米国のMS(質量分析)学会の重鎮であるUMBC(The University of Maryland, Baltimore County)教授のキャサリン・フェロー氏らが注目。フェロー教授らに勧められて1988年に論文発表した。

 田中氏は現在,今回の受賞対象となった技術をさらに進歩させる研究開発に従事しており,この会見と同日に,4日後の2002年10月15日にその成果である新製品「AXIMA-QIT」を発売することも発表している。

 田中氏のプロフィールは以下のとおり。1959年8月3日,富山市生まれの43歳。1983年に東北大学工学部電気工学科を卒業後,同年4月に島津製作所に入社し,技術研究本部中央研究所に配属。1989年に「高質量分子イオンの検出を可能とするレーザーイオン化飛行時間型質量分析法の研究」で,日本質量分析学会奨励賞を受賞。2002年5月から現職の分析計測事業部ライフサイエンスビジネスユニットのライフサイエンス研究所主任。(日経ナノテクノロジー 桜井敬三)

【写真】記者会見でコメントする2002年度ノーベル化学賞の田中耕一氏
【写真】記者会見でコメントする2002年度ノーベル化学賞の田中耕一氏