IBM社のチューリッヒ研究所(スイス)のPeter Vettiger氏をリーダーとする研究グループは,1Tbit/inch2(1平方インチ当たり1テラビット=1兆ビット)の超高密度記録を可能にする 新しい情報記録デバイス“ナノテクノロジー版パンチカード”を開発した。ナノスケールの観察に使われる原子間力顕微鏡(AFM)のシリコン製カンチレバー(探針)を利用し,加熱しながら機械的に情報を記録するという熱加工(thermomechanical)方式の一種を採用している。実用化するには今後,システム全体の信頼性を高めることはもちろん,媒体として使う高分子フィルムの材質の最適化や,記録速度の向上に伴って増大する消費電力の低減策などが重要な課題となりそうだ。

 新デバイスは,媒体となる高分子フィルムの表面に,AFMで使われるのと同様のカンチレバー(写真1)を加熱しながら押し付けることで,数十nm径のくぼみを数十~百数十nm間隔で記録するというもの(写真2)。実際のパンチカードとは異なり,記録したくぼみは何度も書き換えられる。また,読み書きの速度を高めるために,3mm角のスペースにカンチレバーを縦横32個ずつ,合計1024個並べたアレイを試作し,1~2Mbps(1秒当たり1~2メガビット=100万~200万ビット)のデータ転送速度を実現できることも確認している。

 ただし,1Tbit/inch2の超高密度記録を実証できているのは,1個のカンチレバーを単独で用いた場合のみ。アレイを用いた場合の記録密度は,まだ数百Gbit/inch2(1平方インチ当たり数百ギガビット=数千億ビット)までしか実証できていない。

 この研究プロジェクトの名称は「Millipede」。節足動物の一種である「ヤスデ」を意味する。確かにカンチレバーアレイの形態は,どことなくヤスデの足を連想させる。新デバイスの構成は,シリコン基板上に成膜した高分子フィルムを記録媒体と,読み書き用ヘッドとなるシリコン製カンチレバーのアレイを組み合わせたもの(図)。シリコン基板は面内の縦横方向(x軸方向とy軸方向)に位置制御しながら平行移動させることができ,さらに面に垂直な方向(z軸方向)には接触時の力をフィードバックさせながらカンチレバーアレイに近付けたり遠ざけたりすることができる。

 カンチレバーの先端は高温に加熱できるようになっており,書き込み,読み取り,消去のそれぞれで異なる温度に制御する。それらの温度は記録媒体として用いる高分子フィルムの材質によって異なる。カンチレバーはループ形状で,先端近傍以外はドーピング(微量の不純物添加)によって導電性を高めてあり,先端近傍のみ電気抵抗が大きく,電気ヒーターとしての機能を持つ。先端部には,直径および長さともに約2μmで,最先端の直径が20nm以下の針を成形してある。カンチレバーに通電することで先端近傍を加熱しながら,針で記録媒体にくぼみを形成する。1個のカンチレバー全体の長さは70μm,幅は10μm,厚さは0.5μm。

 実験で主に使った記録媒体の材質は,シリコン基板上にエポキシ系のフォトレジストで厚さ70nm中間層を形成し,その上にポリメチルメタクリレート(PMMA)の厚さ50nmの記録層を成膜したもの。これを用いた場合,カンチレバーの先端の温度を,書き込み時には400℃程度に,読み取り時にはそれよりも低い300℃程度に制御する。くぼみのない部分に比べて,くぼみのある部分では,そこに針が入り込んで高分子フィルムとの接触面積が大きくなり,熱が逃げて温度が下がることから,くぼみの有無を読み取る。記録を消去する際には,くぼみの周囲の盛り上がった部分を,加熱したカンチレバーで押し込むことで,くぼみを埋める。記録層としては,ほかにポリサルフォン,ポリスチレンなどを使って実験している。

 この研究プロジェクトでは引き続き,7mm角のスペースに縦横64個ずつ,合計4096個のカンチレバーを並べたアレイを試作し,データ転送速度の向上を目指す。ただし,アレイ化するカンチレバーの数を増やすことによってデータ転送速度を高めると,消費電力が大きくなってしまうという問題がある。少なくとも一般的な磁気記録デバイスよりも小さく,半導体記録デバイスであるフラッシュメモリーと同等の100mW程度には抑えたいとしている。(日経ナノテクノロジー 桜井敬三)

【写真1】カンチレバーアレイの走査電子顕微鏡(SEM)写真。チップ(上左)上の3mm角のスペースに縦横32個ずつ,合計1024のシリコン製カンチレバー(下左)が整列(上右)。1個のサイズは,長さ70μm,幅10μm,厚さ0.5μmで,先端部は直径,長さともに約2μm,最先端の直径20nm以下の針になっている(下右)
【写真1】カンチレバーアレイの走査電子顕微鏡(SEM)写真。チップ(上左)上の3mm角のスペースに縦横32個ずつ,合計1024のシリコン製カンチレバー(下左)が整列(上右)。1個のサイズは,長さ70μm,幅10μm,厚さ0.5μmで,先端部は直径,長さともに約2μm,最先端の直径20nm以下の針になっている(下右)
【写真2】“ナノテク版パンチカード”の記録媒体に,カンチレバーアレイで形成したくぼみ(左)。直径40nmのくぼみを,120nm間隔(左上)と40nm間隔(左下)で形成した。後者の記録密度は400Gbit/inch2。右は,単一のカンチレバーを使って形成したくぼみで,直径10nm,間隔20nm,記録密度は1Tbit/inch2に達する。いずれも縮尺は同じ
【写真2】“ナノテク版パンチカード”の記録媒体に,カンチレバーアレイで形成したくぼみ(左)。直径40nmのくぼみを,120nm間隔(左上)と40nm間隔(左下)で形成した。後者の記録密度は400Gbit/inch2。右は,単一のカンチレバーを使って形成したくぼみで,直径10nm,間隔20nm,記録密度は1Tbit/inch2に達する。いずれも縮尺は同じ
【図】新記録デバイス“Millipede”(別名“ナノテク版パンチカード”)のコンセプト図。シリコン基板上に成膜した高分子フィルムを記録媒体とし,読み書き用ヘッドにはシリコン製カンチレバーのアレイを使う。個々のカンチレバーはそれぞれ独立に制御できる
【図】新記録デバイス“Millipede”(別名“ナノテク版パンチカード”)のコンセプト図。シリコン基板上に成膜した高分子フィルムを記録媒体とし,読み書き用ヘッドにはシリコン製カンチレバーのアレイを使う。個々のカンチレバーはそれぞれ独立に制御できる