本誌2012年4月号特集で紹介した「金型基地『沖縄』」。そのハブとなるのが、うるま市にある沖縄県金型技術研究センターだ。そこではセンター長の金城盛順氏を中心に産官学ががっちりとスクラムを組み、若手人材を育てる。同時に、製造業不毛の地だった過去を逆手に、新しいものづくりの形を発信する。

写真:河野哲舟

 最近の円安・株高で明るい話題も増えてきましたが、日本のものづくりを取り巻く環境は依然厳しいものがあります。かつてのように、国内に仕事が十分にあるわけではありませんから。とりわけ金型業界は深刻で、メーカーの数はどんどんと減っています。

 しかしその一方で、仕事が来るところには今なおたくさん来ています。そういう会社をよく見ると、2つの共通点が浮かび上がります。1つは、長い時間をかけてオンリーワン技術や高付加価値技術を育んでいること。もう1つは、優秀な人材がいること。つまり、人を大事にしている会社が伸びているのです。

 私は40年近く金型業界に身を置き、人材育成の大切さを痛感してきました。実は、この業界、なかなか若手人材が集まらないんですよ。そこで、私が勤めていたメルコ(現ヤマハ発動機)では、2001年に中国に合弁会社を立ち上げた時に、パートナー企業と一緒になって現地に金型学校を建てましたし、私自身も、2004年から「自動車アイランド」を目指す九州で、金型技術者を育成する事業に携わりました。

 ただ、九州はともかく、中国では思うようにいきませんでしたね。現地で金型技術の基礎を教えてから日本に送り、3年間にわたって実務研修をさせたのですが、中国に帰った途端に辞めてしまう。いわゆる、ジョブ・ホッピングです。 

 いつか沖縄で、次世代を担う人材を育てたい─―。私の中に、いつしかこうした気持ちが芽生え、それは次第に膨らんでいきました。
〔以下、日経ものづくり2013年6月号に掲載〕
(聞き手は本誌編集長 荻原博之)

金城 盛順(きんじょう・せいじゅん)
沖縄県金型技術研究センター センター長
1946年沖縄県生まれ。1971年3月鳥取大学工学部機械工学専攻科修了、同年4月九州大学工学部生産機械工学科助手に。1974年4月ヤマハ発動機入社。1986年4月メルコ取締役技術部長、2001年6月同社代表取締役に就任。2009年3月同社顧問。2006年4月九州工業大学情報工学研究院客員教授、2010 年4月沖縄県金型技術研究センターセンター長、2012年2月ものづくりネットワーク沖縄理事長に就任し、現在に至る。趣味は読書、ゴルフ。