東日本大震災で、東北地方の多くの自動車部品メーカーが地震や津波、それによって引き起こされた停電などで操業を停めざるを得なくなった。沿岸が津波で壊滅した宮城県亘理郡の山元町に本社を置く岩機ダイカスト工業も同様だ。同社社長の斎藤吉雄氏に、この1年を振り返ってもらった。(聞き手は清水直茂)

岩機ダイカスト工業 社長 斎藤吉雄氏
岩機ダイカスト工業 社長 斎藤吉雄氏

 地震による津波は、我々の工場のすぐ手前まで来たが、ぎりぎりで工場に達しなかった。それでも従業員の家が倒壊し、知人も多く亡くなった。この1年、本当にいろいろなことがあった。
 震災の直後に私が最も怖かったのは“風評被害”だ。原発のことではない。山元町の沿岸が壊滅したので、その山元町に本社を構える当社も、沿岸と同様に壊滅したと多くの人に受け取られかねなかった。そんな評判が流れると、取引先はすぐに別のメーカーに乗り替える。当時は通信がつながりにくく、正確な情報をなかなか伝えられなかった。とにかく多くのメディアを含めて、「我々は大丈夫だ。元気なんだ」と訴え続けた。

以下、『日経Automotive Technology』2012年5月号に掲載