イノベーションによって実現する新しい価値の重要性は、なかなか理解されないことが多い。まだ技術として完成していない開発中のものなら、なおさらだ。
エアバッグの価値は、事故の際に乗員を保護し、身体的な被害を軽減すること。ただし、これは、エアバッグが実用化された後に、事故が起きて初めてはっきり分かるもので、開発段階ではまだ絵に描いた餅にすぎない。
一方、エアバッグの最大のリスクは不発と暴発である。事故の際に作動しなければ、エアバッグを搭載した意味がない。さらに、暴発の場合は、それによって事故を誘発する可能性さえある。不発や暴発が起きたら大きな社会問題となり、会社が潰れてしまうほどの影響がある。
こうしたリスクは、技術的な完成度を高めるほど低減できる。筆者たちは商品化の段階で、クルマの使用期間を通じての故障率1/100万以下を実現した。これは、100万台のクルマが15.6年間(当時のクルマの平均寿命)走って、不発や暴発が1件以下というレベルだ。だから、信頼性には絶対の自信を持っていたが、これをエアバッグの技術開発に関わっていない人に理解し、信じてもらうことはとても難しかった。
その際、重要になるのが説得である。エアバッグに限らず、新しい技術や価値を実現するには、開発技術者がさまざまな相手を説得しなければならない場面が必ずある。その説得に際しては、ノウハウやテクニックは通用しない。自らが開発している技術の価値を信じ、全人格で当たらなければならない。
エアバッグの開発では、死に物狂いで説得したことが2回あった。1回目は、開発に着手してから約10年たった頃の開発打ち切りの危機の際。2回目が、実用化前の米国でのフリートテスト実施の際である。今回は、フリートテストの時のエピソードを紹介する。振り返ってみると、エアバッグ実用化に向けての長い道のりの中で、最大の危機であった。
〔以下、日経ものづくり2011年9月号に掲載〕
中央大学 大学院 戦略経営研究科 客員教授(元・ホンダ 経営企画部長)