東京都が2007年に始めた「航空機関連産業参入支援事業」では当初、この分野への参入を目指す企業が400社ほど参加し、航空機に関する基礎知識や関連法令などを勉強しました。その後、航空機産業への参入障壁や要求レベルの高さが分かると参入辞退が続出し、50社ほどに絞られました。さらにその中から、単独で航空宇宙産業や防衛産業に実績を持つ企業10社が集まって、米国市場を視野に、具体的な生産体制の構築を推進すべく結成したのが、アマテラスなんです。
この背景には、国内市場の衰退がありました。日本の航空機産業というのは、防衛産業がけん引する構図ですが、支援戦闘機「F-2」の最終機の生産が終了すると、次期戦闘機の計画はなく、新たに造るエンジンや機体がなくなってしまいました。さらに、追い打ちをかけるように2008年秋にはリーマンショックが起き、日本の航空機産業はますます厳しい状態に追い込まれたのです。
〔以下、日経ものづくり2011年9月号に掲載〕(聞き手は本誌編集長 荻原博之)
アマテラス会長