第1部:福島第一原子力発電所の連鎖事故はこう進行した

 東京電力の福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)で発生した連鎖事故は2011年4月下旬現在も、放射性物質の外部への放出という最悪の事態に陥っている。事故がどのように発生・連鎖し、拡大していったのか、その間、東京電力や国がどのような対策を実施したのかを見ておこう。

 福島第一原発には、営業運転が可能な6基の沸騰水型軽水炉(BWR)が存在する。最も古い1号機は約40年前の1971年に営業運転を開始した。

 地震が発生した2011年3月11日14時46分、福島第一原発の1~3号機ではそれぞれ、全ての制御棒が挿入され運転を自動停止した。ただし、ここでの「停止」とは、原子力発電所の運転(核分裂連鎖反応)が停止したということであって、冷温停止状態(冷却材の温度が100℃未満の状態)に至ったわけではない。これに対して、4~6号機は地震発生時には運転していなかったため、冷温停止状態にあった。

 1~3号機では原子炉が停止したとはいえ、運転停止後も発生し続ける崩壊熱を取り除くために冷却をし続けなくてはならない。運転中であれば、蒸気となった冷却材がタービン、復水器を経由して循環しているが、これは地震で止まった。そこで、圧力抑制プール(サプレッション・プール)や復水貯蔵タンクなどに蓄えられていた冷却材(水)を、電動ポンプによって炉心へと供給するはずだった。

 ところが、地震の被害によって外部からの電力供給が途絶えてしまったため、非常用ディーゼル発電機が地震直後に起動した。そこに、地震による大津波が福島第一原発を襲ったのだ。

 この大津波の到来直後、非常用ディーゼル発電機が故障する。外部電源だけではなく、非常用ディーゼル発電機からの電力供給も途絶えた福島第一原発の1~3号機は、全交流電源喪失、ひいては非常用炉心冷却装置による注水不能な状態に陥ってしまったのである。
〔以下,日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

第2部:連鎖事故の真相に迫る(桜井 淳 物理学者・技術評論家)

 2011年3月11日午後2時46分に発生したマグニチュード9.0の東日本大震災によって、東北電力の女川電子力発電所(1・2・3号機運転中)、東京電力の福島第一原子力発電所(1・2・3号機運転中、4・5・6号機定期点検中)と同第二原子力発電所(1・2・3・4号機運転中)、日本原子力発電の東海発電所(2号機運転中)が震災した。この中で、福島第一原発だけが炉心冷却に失敗し、日本の原発史上最大となる連鎖的な大事故を招いた。国際原子力事象評価尺度(INES)でいえば、暫定値で「レベル7」。これは、米国で起きたスリーマイル島原発炉心溶融事故以上、旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原発反応度事故並みと位置付けられる。

 本稿では、軽水炉が抱える根源的な危険性と、大事故の発端となった非常用ディーゼル発電機の機能喪失の原因、さらには連鎖的大事故に至ったメカニズムを中心に解説する。係る内容は、これまでに公表された事実関係の単なる整理ではない。筆者独自の視点に基づく技術評価であると同時に、日本の安全審査制度とその実施内容に対して重大な疑義を投げ掛けるものである。
〔以下,日経ものづくり2011年5月号に掲載〕