写真:山本尚侍

 まず、東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災した皆様にお見舞いを申し上げます。

 私は、2007年の新潟県中越沖地震の際、パナソニック電工新潟工場の工場長を務めており、復旧の陣頭指揮を執った経験があります。今回の東日本大震災とは被害の規模や範囲が大きく異なり、直接は比べられないと思いますが、少しでも参考になればと、我々の経験を話したいと思います。

 中越沖地震が起きたのは、2007年7月16日の10時すぎのことです。その日は海の日で、単身赴任だった私はアパートでくつろいでいました。すると、激しい揺れに襲われた。ただごとではない。そう思って、すぐに工場に駆け付けました。祝日でしたが、工場では一部のラインが動いていたからです。

 新潟工場には、3つの建屋があります。平屋の第1、第2工場と、3階建ての第3工場で、主な生産品目は照明器具です。工場に着くと、みんな広場に避難していました。ぼうぜんとしていて異様な雰囲気の中、大きな声で「みんな大丈夫か。どうだ」と言って回っていたら、若い女性社員が座り込んで泣いている。私は、同じ目線になるように腰を落として、「どうしたの。もう大丈夫やからな」と声を掛けました。すると、「大丈夫です」と答えた。こういうときは少しでも話した方が落ち着くんですね。私は、名前を呼びながら、その日に出社している人たちの無事を確認しました。

 大きな災害に見舞われると、すべきことが山ほど出てきます。しかし、何を置いても最初にすべきは、従業員とその家族の安否確認です。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕(聞き手は本誌編集長 荻原博之)

木本 哲也(きもと・てつや)
パナソニック電工 執行役員(全社総合安全管理者)
1954年大阪府生まれ。1979年3月に静岡大学大学院工学研究科を修了後、同年4月に松下電工(現・パナソニック電工)に入社。2003年に照明製造綜合部生産技術部長として新潟工場に赴任し、2006年に新潟工場長に就任。2008年執行役員・ものづくり綜合部綜合部長を経て現職。全社総合安全管理者のほか、全社製造副担当とものづくり強化推進部長も兼務。