安価な労働力だけでなく、魅力的な新市場としても注目を集める新興国。地産地消を狙った生産拠点の進出がますます増えている。しかし、日本の工場を単にコピーするだけでは海外の現場は回らない。文化も風土も違う人たちで、日本のものづくりが目指す工場を実現するにはどうすればよいのか。2009年11月号の本誌特集「究極の見える化に挑むダイセル式」でも登場した、自動車部品メーカーに勤めるマナブとミル子と共に、海外工場を成功させる秘密を探る旅に出よう。(池松由香、吉田 勝)

「自ら動く現場」の謎に迫る

 マナブとミル子は、ベトナム北部にあるハイフォンにいた。首都ハノイから100kmほど海側に位置する紅河河口の港湾都市。2人の乗るタクシーは、ある工場へと向かっていた。文房具・事務用品メーカーのコクヨが2005年に設立した文房具の製造拠点、KOKUYO VIETNAM社である。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

総論:現地工場を自立させるコツ

当たり前のことも見せる

 日本メーカーが設置した海外製造拠点の管理者たちを今、最も悩ませているのが「思うように動かない現場」である。もちろんこれは、日本国内工場でもよく聞かれる悩み。海外においてはプラザ合意(1985年)後の海外進出ブーム以降、再三、言われ続けてきたことでもある。ではなぜ今、この「永遠の課題」を改めて持ち出すのか。それは、日本のメーカーを取り巻く環境が変わり、動かない現場を動かすことが最重要課題になりつつあるからだ。

 近年、日本のメーカーにとって新興国市場の存在が重要度を増していることは、2011年3月号から掲載している特集「シリーズ・世界を拓く」で幾度となく述べてきた。新興国で造り、新興国で売る。そんな新たな構図が主流になりつつあるわけだ。

 この環境の変化に伴い、当然のことながら海外工場の位置付けも変わった(図1)。従来の海外工場の役割は、部品を安く調達し、更に安い人件費の労働力を確保して、主に先進国向けの製品を安く造ることにあった。しかし、今はそれだけでは事足りない。製品の売り先が先進国だけではなく新興国の市場にも広がったからだ。これまで以上に安く部品を調達し、働き手の潜在能力を存分に引き出して生産効率を高めなければ、より競争の激しい新興国市場で闘えなくなったのである。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

図1●海外工場の位置付けの変化
従来は海外工場において、日本の調達先や先進国市場を良く知る日本人の介在が必要だった。しかし、新興国市場の成長で「ものづくりのサイクル」をほぼ現地で回せるように。その結果、日本人の介在はコスト面で足かせとなる一方で、現地の人材の育成が急務となってきた。
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事例:自発的な行動を促すコツ

ビジュアルで工程を徹底理解【ヤマハ発動機】

 当初は犬猿の仲だった日本人駐在員とタイ人スタッフの関係を「グローバル見える化」で修復し、職場を「任せられない現場」から「自ら行動できる現場」へと激変させた工場がある。ヤマハ発動機のタイ製造拠点であるThai Yamaha Motor社(TYM)だ。会社の業績も、一時は「清算した方がいい」と考えられたほど危機的状態だったが、その後、日本人─タイ人の関係と足並みをそろえるかのようにV字回復。2001年に10.4%まで落ち込んだオートバイの販売台数のシェアも、2009年には27.9%にまで改善している。

 日本人駐在員とタイ人スタッフが犬猿の仲だったのは、もともと同社がタイ人の経営するタイの会社だったからだ。TYMの前身であるSiam Yamaha社は、1964年に設立。ヤマハ発動機と技術援助契約を結び、オートバイの製造を手掛けていた。ところが1997年、アジア通貨危機の影響で売り上げが減少。そこへ、4サイクルエンジンを積んだホンダの新機種に市場を奪われたことが追い討ちをかけた。同社は、リストラを幾度となく決行。「いよいよ倒産か」という2000年、ヤマハ発動機が株式の51%を買い取り資本参加した。それまでタイの会社だった同社が急に、日本の会社となったのである。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

共通指標で成果を実感【スタンレー電気】

 「やるぞー、やるぞー、やるぞー!」スタンレー電気では、カイゼン活動を始める前にこぶしを突き上げながら「やるぞー」と叫ぶ「やるぞコール」を習わしとしている。これは、自らの意欲を誰の目にも明らかにすることで、自分自身を鼓舞する効果が望める。タイのバンコク近郊で半導体や超小型電球などを生産する同社の子会社、AsianStanley International社(ASI)でも、タイ語でやるぞコールを実施している(見える化事例1)。

 ASIの現地スタッフたちにとってカイゼン活動は「達成感を味わえる楽しいもの」(ASIで品質検査を担当するNichanan Rojanarangsan氏)である。「もし、他にもっと高い給料をもらえる工場があったとしても、カイゼンができるこの会社を選ぶ」(同氏)という。ASIでカイゼン研修の講師を務めたことのある日本人駐在員は、現地スタッフの活動についてこう話す。「実施のスピードがものすごく速い。自分たちで考えてカイゼンを実施し、みるみるタクトタイムを縮めていくので、ちょっと怖いくらいだ」。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

事例:意図を伝えるコツ

作業の「なぜ」もマニュアル化【江崎工業】

 トラックなどのエンジン向け各種オイルパイプを開発・製造・販売する江崎工業(本社東京)は、ある「事件」を機にタイへの進出を決断した。今から約6年前のことだ。

 その事件とは、日本のある自動車メーカーに提供していた部品が、タイからの輸入品とのコスト競争に負けたこと。実はこの直前、同じメーカーのタイ生産拠点に提供していた部品も、現地調達部品に切り替えられていた。タイへの輸出品が現地の部品に負けるなら、まだ理解できる。輸送費がコスト競争に負けた要因と考えられるからだ。しかし、タイからの輸入品に日本で負けたとなれば話は別だ。「相当の危機感を抱いた。これがタイ進出のきっかけになった」(江崎工業代表取締役社長の江?敏治氏)。

 ちょうどこの時、同社のある大田区の産業振興協会が、現地の大手企業と組み、中小企業のタイ進出を支援する賃貸集合工場「オオタ・テクノ・パーク」を建設しているとの情報を入手した。数カ月で進出を決意し、同施設が完成した直後に入居。現地の人材は、同施設に紹介会社をあっせんしてもらって確保した。こうして、EZAKI INDUSTRIAL(THAILAND)社は操業を始めた。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

壁をぶち抜き顔の見える間柄に【セイコーエプソン】

 PT.INDONESIA EPSON INDUSTRY社(IEI)は、1994年にセイコーエプソンが設立したインドネシアのインクジェット主力工場である。抱える従業員数は、約1万人。106社からなるエプソングループ全体の従業員数が7万8000人(うち海外は5万5000人)だから、IEIの規模が同グループ内でもいかに大きいかが分かる。そのIEIが近頃、1000人単位で人材の確保を始めた。年間最大1300万台を生産できる新棟「EPSON4」が稼動する2012年までに、従業員数を約1万5000人にまで引き上げる予定なのだ(図2)。新興国市場の拡大を見込んでのことである。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

図2●新棟「EPSON4」内の倉庫エリア
内部の大部分を組立工程の大部屋が占める。片側に部品倉庫があり、そこから工程に部品をAGVで支給。完成品はもう片側の通路に抜け、そこからAGVで出荷場へと送られる。

事例:エキスパートを育てるコツ

1つの仕事で責任感を持たせる【オムロン】

 「手順書など日本式の管理をそのまま持ち込んだが、中国人にはなかなか伝わらなかった」──オムロン執行役員兼欧姆龍(上海)公司(OMS)総経理の土居公司氏は、同社の立ち上げ当時をこう振り返る。

 当初は、日本の工場で使っていた作業標準書などをそのまま中国語に焼き直して使ってみようと考えた。日本人にとっては過不足ない標準作業書だったが、現地の作業者には通用しなかった。曖昧な記述が多くて、往々にして正しい判断が下せなかったというのだ。

 そこで、OMSでは写真や絵を多用した上で、判断基準はできる限り定量化。文章も短く・的確な記述となるような新たな作業標準書をあらたに策定した。「中国ではしっかり文書に落とし込むことが重要」(土居氏)なのだ。詳細は明かさないが、日本の作業者なら勘や経験に任せておいてよかった部分も、出来る限り可視化・定量化したという。

 そうした分かりやすさ、見やすさが中国でものづくりを定着させるポイントとなる。その上で、日本の工場のいいところを取り入れて、OMSで新しい標準を作り上げていった。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕

音と映像でノウハウ伝授【トヨタ自動車】

 1997年に現地企業との合弁企業Toyota Kirloskar Motor(TKM)社を設立し、インド市場に進出したトヨタ自動車。2011年1月には新興国向けとして新規にプラットフォームから開発した低価格の4人乗りセダン「Etios」を発売した。 2010年12月には同車を生産する新工場である第2工場が操業を開始している。

 高品質だが低価格──それには開発段階での原価の作り込みはもちろん、狙った品質の製品を安定かつ高い生産性で造れる実力を持った生産ラインが必要となる。新興国でそれを実現するカギは人材育成だ。
〔以下、日経ものづくり2011年5月号に掲載〕