【事故は語る】200km/hの新幹線を襲った地震

2004年10月23日の「新潟県中越地震」によって脱線した,東日本旅客鉄道(JR東日本)の上越新幹線「とき325号」。幸い1人の死傷者も出さずに済んだものの,新幹線開業以来初めてとなる,営業中の脱線事故として人々を驚かせた。事故から3年を経た2007年11月,原因調査の結果をまとめた報告書が公開された。

 「現行のシステムでは完全に防ぐのは困難」─。くだんの事故の調査に当たった航空・鉄道事故調査委員会は,走行中の列車が直下型の地震に襲われた場合,現状では脱線を防ぎきるのは難しいと結論付けた。問題の事故をあらためてふり返ってみよう。  地震が発生したのは,2004年10月23日17時56分00秒ごろ。とき325号は204km/hで走行しており,浦佐駅-長岡駅間にある滝谷トンネルを出た直後だった。震央は,その南に位置する新潟県小千谷市の北緯37°17.37’,東経138°53.23’。大宮駅起点(以下略)206.0kmとなる滝谷トンネル出口(当該事故の代表地点)付近からわずか9.6kmしか離れていなかった。地震波は,P波が3秒弱,S波が5秒程度で代表地点に到達したと推定されている。(以下,「日経ものづくり」2008年1月号に掲載)

図●脱線現場付近の状況
図●脱線現場付近の状況
大宮駅起点から206.2km付近のレールに最初の脱線痕が認められ,とき325号はそこから約1.6km先での207.8km付近(先頭車両の位置)で停止していた。206.5km以降でレールの蛇行や破損が確認された。特に206.7km付近の接着絶縁レール近傍は破損が著しい。これは,脱線した車輪が接着絶縁レールの継ぎ目板やボルトなどを損壊させたためと考えられる。