1974年,前年のオイルショックの影響で日本経済は戦後初のマイナス成長を記録した。半導体業界も深刻な不振に陥り,技術者の多くは仕事がほとんどない状況だった。日立製作所も例外ではなく,武蔵工場では定時退社が日常化し,午後から帰休になる日もあったという。

 だからといって,半導体技術者の意気はそがれなかった。むしろその逆である。日立製作所の武蔵工場に勤務していた安井徳政は,こんなときこそ新技術の開発をすべきと考えた。目の前の仕事だけではなく,時には横道にそれる挑戦がないと将来の種は育たない。常々そう感じていた安井にとって,半導体市場の不況期は,普段はできない開発にじっくり取り組む好機だった。

 安井には,しばらく前から気になっていた技術があった。SRAMの高集積化を可能にする「高抵抗多結晶Si負荷メモリ・セル(高抵抗セル)」である。アイデア自体は日立の清水真二が1973年に特許を出願していた。ただし,実際のSRAMに応用した例はまだなかった。この事実が,安井の遊び心をくすぐった。せっかくの機会だから,実際にSRAMを試作して効果があるかどうか探ってみよう。