日本で情報提供サービス「インターナビ・プレミアムクラブ」を発表した2003年8月。ちょうど同じころ,米国でも情報提供サービス「AcuraLink」を実現しようと,栃木研究所と米国の研究開発拠点であるHonda R&D Americas(HRA)社を中心とした開発チームが,米国の販売統括会社であるAmerican Honda Motor社と話を進めていた。

 事の発端は1999年にさかのぼる。米国向けにもインターナビを展開したいと考えていた今井武は,その年の秋にAmerican Honda Motor社に情報提供サービスの実施を提案しようと渡米する。だが,当時の米国は携帯電話機が普及し始めていたものの,日本の携帯電話機のようにインターネットへ接続したり,データ通信したりする機能がないなど,携帯電話網を使って情報配信するインフラはまだまだ整っていなかった。そのため,American Honda Motor社からは「時期尚早」と事実上断られてしまう。