本記事は、日本機械学会発行の『日本機械学会誌』、第118巻第1158号(2015年5月)に掲載された記事の抜粋(短縮版)です。日本機械学会誌の目次、購読申し込みなどに関してはこちらから(日本機械学会のホームページへのリンク)

[1]はじめに

 科学技術を通して人工物を造ることは、工期、予算、実用的便宜などのために、現実との妥協の上に成り立っている。技術はあるところで割り切らねば成り立たない。技術開発には、その手段が合理的かという問題と、その結果を得るためどれだけの資源投入が妥当か、という二つの問題がある。

 「技術者のジレンマ」とは「科学技術を実社会に適用する際の技術的合理性とは何か」という悩みで、これに関する基準はなく、一人ひとりの判断に委ねられている。また、科学技術は社会で使われてこそ意義があると考えれば、科学技術者には、その開発成果が社会にもたらす結果に対する社会的責任が生じる。科学技術の持つ利点と危うさを最も知る技術者は、その危害を防ぐ責任がある。

[2]技術者のジレンマ

 技術は「モノを作る」ことが原点で、工期、費用、技術力などの制約条件のもとで最適な「解」を見つける。その際に「どこかで割り切る」ことになる。リスクをゼロにするためにどこまでも資源を投じることは現実には行えないし、その時点の科学技術では解決できないこともある。もっと確実な製品に仕上げたいと思ってもあるところで妥協せざるを得ず、「安全・品質の面で、ここまでしか保証されていない」ということが生じる。

 技術者には、技術者として公益を最優先に行動することと、企業などの従業員として雇用主に忠誠を誓うという二つの立場がある。自らの考えを企業の意思決定に反映できなければ、企業の方針に従わざるを得ないことがある。このようなジレンマが生じたとき、どう判断し行動するかが問われているが、「一般解」はない。

 技術者倫理の教材は、こうした判断の助けとなるよう実際に起きた事例を取り上げることが多い。一人一人の技術者が、実際の事例の当事者の立場に自分を置き換えて「自分ならば、どのように判断・行動できるかを考える」仮想体験を積み重ねることで、技術者としての判断行動基準を形成していくのである。ここで技術者のジレンマに関するいくつかの事例を見てみる。