北九州市は2013年に市制50周年を迎えた。同市は、日本の高度経済成長の牽引役を果たしてきた一方、1960年代には、「ばい煙の空」や「死の海」といわれる公害が深刻化した。だが、その後、市民、企業、行政の一体となった取り組みにより、1980年代には、環境再生を果たした奇跡のまちとして国内外に知られようになった。

図1●若松区響町の埋め立て地に建設した「市民太陽光発電所」(出所:日経BP)
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図2●入り口にある「市民太陽光発電所」の看板(出所:日経BP)
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 昨年9月、若松区響町に竣工した出力1.5MWの「北九州市 市民太陽光発電所」は、こうした同市に根付いた住民参加による環境活動の土壌の上に建設された(図1、図2)。発端は2012年10月、同市が設置した市制50周年記念事業の実行委員会に参加する有志が、「北九州市のシンボルになるような太陽光発電所を作れないか」と発案したことだった。これを受け、市が土地や資金調達手法など事業性を評価し、実現可能と判断し、計画が動き出した。

 市民太陽光発電所の事業費は約5億円。これを市民公募債と寄付金で賄った。市のホームページなどを通じて、市民太陽光発電所への寄付を募ったところ、6783人から合計1773万1000円の寄付金が集まった。「実行委員会の女性を中心に婦人会などを通じて、広く市民に呼びかけたことで、大きな成果になった」と、同市港湾空港局整備部事業調整課の中野吉明・市民発電所担当係長は、当時を振り返る。