――太陽光発電システムをより正しく作り上げる方が、利点が大きいという状況になるために、何が足りないのか。

対談する産業技術総合研究所 太陽光発電工学研究センター システムチームの加藤和彦氏(右)と吉富電気 吉富政宣氏(左)
(撮影:森田 直希)

吉富 設計や設置に最初から誤りがある太陽光発電システムが増えると、そうした太陽光発電システムの数量に比例して事業の大きさが決まる積分型産業であるメンテナンス(保守)事業者にとっては、それだけ市場が大きい状況になる。

 このように、経済学的な圧力というよりも、経営学的な圧力が働く事情があるので、なかなか根本的な解決に向かわない。経営学的と言ったのは、経済学の場合、もう少し社会全体のためを思う部分があるためである。

加藤 最近では、地方自治体などが太陽光発電システムのメンテナンスに着目しはじめている。ただし、その狙いとして大きな部分を占めているのは「雇用の創出」。

吉富 設計や設置に最初から誤りがあるにもかかわらず、その誤りを、対価をもらって、後から直すことが正当化されることだけでもおかしいのに、そのための雇用が増えるから取り組むというのはおかしいと思う。

――そもそも、現在の多くのメガソーラーのような、元は工業用地として整備した土地に万単位の枚数の太陽電池モジュールを並べるのが、本当に良いのかということから、価値観を問う必要があるのだろうか。

加藤 わたし個人の価値論として、ずっと主張し続けてきているのは、太陽光発電が持つ本来の価値からすると、住宅の屋根に設置するのが最適だということである。身近な場所に太陽光発電システムがあり、それによって、世代をまたいで日常的に太陽光の恵みを感じる日々を過ごしていく。

 例えば、2011年3月に発生した東日本大震災で自宅が停電していた時間帯に、昼間だけでも、自宅の屋根の太陽光発電システムによる電気を使うことができることで得られる安心感は大きかった。

 もちろん、住宅の屋根に太陽光発電システムを設置することによるリスクはあり、その課題については、根本的に解決していく必要がある。

 地方自治体にとっても、地域に災害時や停電時に使うことができる、地産地消のエネルギー源があるのが望ましいだろう。最近、メガソーラーでも連系する系統の停電時に、自立運転できる機能を備える発電所が増えてきているのは、こうした太陽光発電が持つ本来の価値を生かそうとする動きと言える。

景観に溶け込む工夫を

吉富 遊休地を使うこと自体は、良いことだと思っている。日本では、国産のエネルギー源は得づらく、遊休地から電力を生み出すことそのものは、遊休地の有効活用にとっても、日本のエネルギー事情にとっても、望ましいからである。

 しかし、景観を損ないかねないという面では、太陽光発電に望ましくない場所がある。例えば、海岸沿いにメガソーラーを建設する場合、景観の優れた海岸沿いの場所に、太陽電池モジュールの無機質な外観を、無遠慮に並べるのは勘弁して欲しい。得るものに比べて、失うものが多すぎると感じている。

 だからといって、やめろと言うのも無茶な相談だろう。

 幾らかの配慮を見せるだけで随分違ってくる。例えば、国立公園内に設置する太陽光発電システムや風力発電機の構造物は、茶色に着色される(図)。また、太陽電池モジュールのアルミ枠とバックシートには、茶色や黒色が採用される。

発電システムや構造物を着色して景観に溶け込みやすく
東京電力グループの東京パワーテクノロジーが尾瀬国立公園で運営する山小屋「東電小屋」(撮影:吉富電気)
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 つまり、全体を暗色化して、背景に溶け込むよう工夫される。環境規制の緩い地域に設置されるメガソーラーにも、ああいう工夫があっても良い。